1: 02/10/26 16:32
応神天皇の五世孫ということらしいけど
出目や出身等、謎に包まれているよね。

引用元: ・● 謎の大王・継体天皇について ●

2: 02/10/26 16:40
今後の展開次第では5世孫どころでない皇裔を皇位に就けなきゃ
ならなくなるかも。

4: 02/10/27 20:19
父:意富富杼王
┏乎非王(「上宮記」による) 継体の祖父にあたる
┣阿居乃王(「新撰姓氏録」による)
┗都紀女加王(「国造本紀」による)

つぎはぎの兄弟……

6: 02/10/27 20:23
実は継体天皇自身も三兄弟
父:彦主人王
┏天迹部王(彦人王)
┣男迹部王(彦杵王)
┗大迹部王(彦太王)→継体天皇

10: 02/10/27 20:32
>>6
えっ、マヂ!
出典教えろや。

21: 02/10/28 03:07
>>10
水尾神社本土記

18: 02/10/27 21:17
継体天皇は河内の豪族と言う説が強い。
つまり、天皇家断絶の1か点であることは常識!

22: 02/10/28 03:51
河内じゃないよ扶餘だよw

23: 02/10/28 07:50
五世前っていうと、たとえば今上天皇からすると仁孝天皇になります。
現在ならまだしも当時5代前が誰だったってきちんと把握できるもの
だったのだろうか?

24: 02/10/28 19:29
「継体」と言う名前が血縁の無い外部から来た意味。
しかし、前天皇の「体」制は「継」いだと名乗っている。

30: 02/10/28 22:20
>>24
漢文しらないバカ

40: 02/10/29 06:24
>>24 は、違いますね.
「継体」という語が、どういう文脈でどのような使われ方をする語かを知っていれば
こういう早とちりなことは書かないと思うよ.

42: 02/10/29 06:44
>>40
しかたがないよ。いまどき九州王朝とか言ってるレベルだもん。

25: 02/10/28 19:51
継体は越の出身かな。
継体の前の天皇が、日本書紀で悪く書かれているね。
これは、新王朝発足時の中国式ルールだそうな。

しかし、大和の旧豪族は権力を維持している。
ってことから、皇位断絶・新王朝発足。
背後は大和と越の豪族の連係プレイと予測。
もめたので、すぐに大和には入れなかった。

27: 02/10/28 21:42
>>25
>しかし、大和の旧豪族は権力を維持している。
>ってことから、皇位断絶・新王朝発足。
>背後は大和と越の豪族の連係プレイと予測。
>もめたので、すぐに大和には入れなかった。

解りにくいので、もう少し詳しく説明乞う!

28: 02/10/28 22:11
>>27
完全なる王朝交代なら、大和のそれ以前の豪族は没落し、
継体がつれてきた豪族が大和の主流となっているはず。

しかし、豪族の勢力は、継体以前と以後では、あまり変化がない。
ということは、皇統が切れた、あるいは豪族によって切られた後継を、
越の国の豪族だった継体家から探してきた、または自推してきた。

その継体は、なかなか大和中心部に入れなかった。
越の豪族連合と、大和の豪族連合がなにかしらの課題でもめていたと予想。
結局話がついて、大和豪族を重臣の中心にして、越の豪族か王だった継体が
上に立つ。

という、展開だったのではないかな。

31: 02/10/28 23:13
>>28
解説感謝します。

継体天皇が祭ってある、足羽山の足羽神社、その周辺の足羽町、郡部の足羽郡。
福井県内に数多くある「足羽」という地名。
継体天皇が、九頭竜川流域の湿地帯を、足に羽をつけた如く歩いたという
故事からきているというのを聞いたことがある。

34: 02/10/28 23:33
>>31
越(福井・若狭)は、古来から大陸や半島の交易の入り口だった。
継体も、大陸・半島の豪族勢力の関連性があるかもしれないね。

35: 02/10/29 00:02
>>34は考え過ぎ。

35: 02/10/29 00:02
>>28の通り、継体が大和盆地に入るのに二十数年かかっている。

29: 02/10/28 22:12
今現在、真の継体天皇陵といわれる今城塚古墳を発掘中!

36: 02/10/29 00:25
継体の出自は越が有力みたいだけど息長は?母親はたしかここの出
だよね。

38: 02/10/29 01:02
継体天皇は、四道将軍の一人として北陸に派遣された大彦命の子孫じゃないの?

39: 02/10/29 02:03
河内豪族が推薦してるから、天皇家の分家だろ。
攻めあがったとか( ( ( ( ( (゚∀゚) ) ) ) ) )流すな

45: 02/10/29 20:01
要するに、神武=崇神=応神なんだよ。
応神以降の天皇は、日本統一の大業を果たしたけど、血が絶えてしまった。
そこで応神に遡って、その子孫に継がせるしかなかった。
ところが、応神以降の重要天皇の血を引いていない天皇への反対が強く、やむをえず、
崇神と、応神以降の血統の皇女を結婚させ、その子に後を継がせることを条件に即位
を認めた。
そして、後世への正当化として応神より後の天皇をボロクソに記述し、応神以降の
業績を崇神~応神までの架空の天皇を遡ってでっち上げ、そこに移した。雄略天皇の
業績も日本武尊という架空の人物の業績に移した。
ところが辛酉革命説だったっけ?年代がおかしくなるので、さらに遡って神武~崇神
をでっち上げる必要が生じたということ。
だから、神武、崇神、応神の業績は同一人物の業績であり、四道将軍派遣は応神以降
の行為。だから、継体が大彦命の子孫だということを記すと、マズイというわけ。
こういう作為は他にもある。
例えば、聖徳太子。あれは蘇我馬子そのものだよ。馬子は朝敵として否定すべき存在
だが、業績は優れていたので架空の太子に移したんだ。

49: 02/10/29 22:48
さう言へば、応神から継体に至る系図の途中に「意富富杼(オホホド)王」といふ名前が出てきますね。
そして、継体の本名は「男大迹(ヲホド)王」です。
つまり、この2つの名前は「大ホド」と「小ホド」といふ大小が対になったものなのです。
古代の人名には、このやうに大小が対になった名前の例がいくつもあります。
例へば、雄略の本名の「大泊瀬」と武烈の本名の「小泊瀬」の例が挙げられます。