1: 02/11/01 20:09
米や特産品も嬉しいけど、俺達武士だけじゃ食いきれないの
現金を贈れ、そのほうが使い勝手が良いんだよう

引用元: ・江戸時代の納税について

2: 02/11/01 20:31
江戸時代は農民より武士の方が貧しかった

3: 02/11/01 20:58
うそでしょ?
江戸時代は百姓にとっては暗黒時代だったはず。
米は食えないし殺され放題だし。

5: 02/11/01 21:02
>>3
そんなことを言うと、井沢信者が登場するぞ…

4: 02/11/01 20:59
うお!いきなり結論が出た
検地によって百姓の土地所有が認められたのはなかなか知られてない事実だろ

まあ、それによって納税の義務も生まれるんだけどね

8: 02/11/01 21:20
教科書では定免制ってのは
飢饉のときでも税収を安定させるために幕府が決めたってあるけど
佐渡の国で定免制を止めること通告したとき名主たちを先頭に大きな反対運動が起き、
それが最初の国を挙げての百姓一揆になったってあるけどなんで?

検見制のほうが良かったんじゃないの?

10: 02/11/01 21:27
>>8

教科書にもあると思うが、どちらも一長一短

検見だとその場のサジ加減で重く取られることもある・・
定免なら豊作の時は百姓がたっぷり取れる

12: 02/11/01 21:40
>>8
農民の生産力が向上してきて、武士は定面より検見法のほうが増税でき
るって気づいて、検見法にしようとした。
生産力が増加させられる自信があった農民は、検見法だと向上分まで
とられてしまうから、常面法の固持にこだわったんだね。

全国各地で似た一揆が起きているよ。

15: 02/11/01 21:59
>>8の教科書だと重税するため定免制にしたんだろ
 今度はその逆で検見制にしたってか、農民には迷惑な話しだな藁

9: 02/11/01 21:24
あれは増税だよ実質ね。

14: 02/11/01 21:48
全国各地って、幕府の直轄領だけじゃないの?

16: 02/11/01 22:02
>>14
直轄領以外でも、もめた藩もあったようだよ。
幕府に言いつけたりしている。

17: 02/11/02 00:34
江戸時代の百姓の生活のことについて知りたいんだが
お勧めの本があったら教えてください

20: 02/11/02 22:39
税金といっても米や金以外の公役など直接的に労働力などを負担する税をあったんだよ。
しってる?

21: 02/11/02 22:59
知ってるが、それがどこで、どのような人に、どのような使役があって、どのくらいするのかってことは知らんよ
日本史板で威張れるくらいの知識なら↑の疑問にも答えてもらいたいものだ

厨房や高校での知識ぐらいならみんな持ってるから自慢にならんぜよ

23: 02/11/03 08:28
江戸時代では「公平、平等な税負担」というものは存在しませんでした。
基本的に場あたり的にその場その場で課税基準が決まっていきました。
各領主はそれぞれ独立した徴税権をもっていましたので領地毎に税の仕組みが違っていました。
さらに同じ領主の領内であっても各村や各家の由緒やなにやらでそれぞれが課税率等が異なっており
統一した課税基準などというものは存在しませんでした。

公役についていうと領民全体に課されるケースと特権付与に対する代償として課されるケースなどがありました。
後者のケースでは例えば江戸では床屋(髪結い床)にはなぜか火事の時に町奉行所にお手伝いに掛けつけるなどと
いう義務があったりしました。これは床屋の営業特権の代償として位置付けることができますね。
あるいは村役人、町役人なども基本的に無給ですのでこれなども公役にあたるでしょう。
とはいえ公役負担のかわりに冥加金による金納やその座の生産物による物納などもあったようです。

前者の方ですが村方では悪名高い助郷人足などがこれですな。
これなどは交通の発達により規模が大きくなりしまいには人足を勤めるために
二泊三日もかかるような遠方の村にまで助郷の指定がかかり村方の負担は大変だったようです。

もうちょっと変り種だと宿場の本陣経営なども実は公役の一種だったりします。

28: 02/11/03 23:38
米を納めるんじゃなくて、収入からの納税にしていたらどうなっていただろう。
やっぱ幕藩体制は「米経済」の上で成り立っていたから崩壊かな?

32: 02/11/04 02:27
>>28
武士も結局、米を札差を使って金に換えていたんだから、なんでできないんだろ。

もっと根本的な部分があるのかね。

38: 02/11/05 13:18
>>32
年貢の米納(現物)は大名が自ら年貢米を商品として販売することによって、経済の主導権を握る、商人的発想だと思われます。
それは、米以外の物納はほとんど無く貨幣によって納められていたからです
租税納め帳を見ても明らかです
白布や青苧の運上として銀納させ、米だけが物納なのです
もし、通説どおりの自給自足を百姓の基盤とする学説としたら幕府は商品生産を抑えなかったのかという不自然な疑問にぶち当たります

ゆえに、年貢米だけは領主自らの販売商品にしていたと考えられるのです

39: 02/11/05 14:28
>>38
ほうほう。
では、米経済の崩壊=幕藩体制の崩壊は違うってことでしょうか。

40: 02/11/05 17:04
>>39
それについては明確な解答を私は持ち合わせておりませんが、やはり収入のほとんどが米納からだと思われるため>>39の通りになるのではなるのではないでしょうか

31: 02/11/04 00:39
あとは昔からの旧領と加増の新領とではそれぞれ異なってたりもするですな。
また加増の時期によりそれぞれ微妙に異なってたりするです。
飛び地なんてのもやはりそれぞれ違ってましたね。

44: 02/12/02 20:02
此訳

  上田壱町七反歩半         十四
   此取米拾弐石七斗五升壱合     反七斗五升取

  中田三町九畝拾歩半        十二
     内壱畝五歩     前々川欠引
   残三町八畝五歩半
    此取米弐拾石三升弐合      反六斗五升取

  下田五町六反七畝歩半       十
     内壱反弐畝拾三歩  前々川欠引
   残五町五反四畝拾七歩半
    此取米弐拾九石三斗九升三合   反五斗三升取

  下々田弐反六畝拾三歩半      八
   此取米壱石五升八合        反四斗取

  新下々田弐町六反七畝廿一歩半   六
      弐反六畝七歩   前々川欠引

実際の割付から引用したんですが、石盛が十四,十二,十,八、六となってるのは何でか分かりますか?
一般では十五から始まる奇数じゃないですか

47: 02/12/08 23:33
>>44
一坪だけ刈り取ってみて全体の収穫量を推測して石盛を定める。
その結果そうなったのだろう。

45: 02/12/08 12:33
菜種や綿などの商品作物には直接課税はされないのが封建経済のタテマエ.
しかし,享保以来,幕府はこれらからも税収を得たいと考え,菜種商人などに株仲間を結成させ
独占的にこれらの作物の取引を行う権利をあたえそこから運上金を徴収することになった.
もちろん,株仲間商人は税負担を農民に転嫁するから,商品作物を安く買い叩くことになる.
これに反発した河内や摂津などの農業先進地帯の名主らが結束し
長期にわたって農民闘争を展開することになる. →国訴運動

46: 02/12/08 23:26
念の為に付言すると,農民達は租税負担に反発したのではなく(税負担じたいはまあしょうがないだろうが)
幕府の株仲間政策によって取引の自由を奪われたことに反発したわけね.
独占商人は不当なバーゲニングパワーを行使できるから,運上金を幕府に納めてもたんまり儲けることができる.