1: 02/11/28 10:54
中村半次郎と対等にわたりあえたのは土方だけだった、
という話もありますが。どーだったのでしょう?

引用元: ・●土方歳三は本当に強かったのか?●

2: 02/11/28 10:56
その逸話知らんぞ。

3: 02/11/28 16:52
山野八十八より弱くて井上源三郎より強いってくらいじゃないか?

4: 02/11/28 17:13
日野にいたころは、相手が油断してると土方にやられる程度。
京都に出てきてからは、人を斬り過ぎて、刀を握る部分が
血で腐ったぐらいだから、喧嘩剣法は相当上達したはず。
後に、陸軍少将となった半次郎(桐野)よりは格下と思われる。

5: 02/11/28 17:49
半次郎の逸話も無茶苦茶なのが多い。
実は藩中最強の使い手は大山格之助であり、
例の雨だれが落ちるまで3度抜いたというエピソードも
大山の話だそうだ。(半次郎がそれを見て仰天した)

6: 02/11/28 17:52
だから俺は半次郎と互角でもいいと思うわけね。

7: 02/11/28 18:04
沖田のエピソードには、三度突きが、一突きに見えたって
いうのがあるけど、土方のエピソードはあまり聞かない。

8: 02/11/28 18:58
鬼の土方

9: 02/11/28 19:07
斬る!という威圧感はあっただろう。

10: 02/11/28 22:35
人斬り抜刀斎に一本負けしたらしい

13: 02/11/30 03:28
沖田や近藤は剣術家だが土方の場合は戦略家である。
剣術家の場合、個人戦や接近戦等には強いが、団体戦や中長距離戦には弱い。
新撰組においても団体戦術や組織編成等は戦略家である土方の考案である。
鳥羽伏見戦以降の戦いは刀剣による近距離個人戦よりも大砲や洋式銃等の
中長距離団体戦が主体となった。
それゆえに近藤が流山で戦線離脱する原因につながる最大の理由に繋がる。
剣術主体であった近藤にとっては鳥羽伏見の敗戦は自分の時代の終焉を認めなければ
ならなかった。それゆえにそれ以降の戦績はさえなかったこともあり流山で離脱しえなかった。
それとは逆に土方は根っからの戦術家であった為に鳥羽伏見以降は水を得た魚のように洋式戦術を
取り入れ常に戦線の最前線に立ち函館まで戦いぬいた。


14: 02/11/30 03:30
沖田・永倉・斎藤が三強じゃない?

15: 02/11/30 04:03
土方は剣術家としてはそれほど強くなく指揮官だと最強!!

16: 02/11/30 09:59
個人的に

斉藤=沖田>永倉=近藤>土方>藤堂>原田>山南>井上

ってかんじ

17: 02/11/30 10:46
函館に向かう船の中で旧幕府軍の武士達に、「斬るときは、相手の
腰に自分の腰をくっ付けるようにして斬れ」と指導していた位だから
旧幕府軍のなかでは、剣の腕は筆頭だったのではないか?
そもそも、相当強くないと京都の浪人たちを取り締まっている間に
斬りあいにおいて、大怪我ぐらいしたはず。
そういうはなしは、聞いたことが無い。

19: 02/11/30 12:11
スレ違いかもわかりませんが
日野の石田寺には土方の遺骨は埋まってるのですか?
戦死だから死体とかどっかいっちゃったのかな?

22: 02/11/30 15:21
>>19
遺体は不明です。

20: 02/11/30 13:19
新撰組の組員は基本的に強かったんだよ。きっと。
けど、刀対ライフル銃じゃ 戦う前から結果は見えてる。時代遅れの哀れな新撰組組員が、
今でも同情されて、人気が有るんだよ。土方歳三がライフル銃片手に茂みに隠れて
新政府軍の兵士を狙撃してたら、華がないよね。
刀片手に突撃して行く土方が、切り合うことなく撃ち殺されたことで、歴史に名を残し、NHKでも取り上げられるんだ。

22: 02/11/30 15:21
>>20
土方がライフル銃で新政府軍と戦った話しはあったはず。

21: 02/11/30 14:09
ソース忘れたけど、新選組幹部で強かったのは永倉新八で、斉藤一、沖田総司が
それに続いていたという当時の談話があったように思う。
土方歳三も「武術英名録」に載るぐらいだから、師範級の腕は持っていたんじゃ
ないかなぁ。
天然理心流の門人で近藤勇の友人だってだけでは新選組副長は勤まらないような
気もするし、少なくとも皆が認めるだけの実力はあったと思うよ。
土方の戦い方の目撃談としては「相手に砂を投げつけ、混乱した隙に着ていた羽織
を相手の首に巻きつけてそのまま締め落とした」ってのがあったなぁ。
要は相手をしとめればいいのですね。

24: 02/11/30 20:00
>>21
マジ?その逸話初めて聞いた!
ソースきぼん。

32: 02/12/02 17:30
>>24
光栄(KOEI)の歴史パラダイスって本に載っていたよ

23: 02/11/30 16:44
芹沢鴨が最強。というのが最近の傾向ですよね。

28: 02/12/01 13:31
新撰組には鉄砲もありましたよ。
握りに『新撰組』の刻印がしてある銃を見たことあります。
当時としては最新型だったそうです。
政府公認の集団ですから装備なんかは、かなり良いものが行っていたそうです。


30: 02/12/02 00:02
土方って目録じゃなかったっけ・・・下から2番目の位で
今でいう剣道2段くらい。
で沖田が免許だったような気がする。
でも竹刀剣術がいくらできたって人は切れないからね・・・
その点、土方はすっぱりと竹刀を捨てて真剣で修行して
いたらしいし・・・。
俺的には
沖田=斉藤=長倉>土方=原田>近藤=藤堂
だなぁ

31: 02/12/02 16:44
近藤も土方も流石に真剣だと強そう。

33: 02/12/02 17:37
近藤が土方より弱いってことないだろう。

34: 02/12/02 19:33
土方の場合、彼個人の強さに肩書きが追いついてないだけのような。
天然理心流への入門時期も、17歳と26歳の2つの資料があるし、
17歳で一度入門したものの何らかの理由で天然理心流を離れ、26歳
の時に再度入門しなおしたという説もあながち間違いではないのかも。
26歳から剣術はじめた男が新撰組の副長としてあのメンバーを指揮する
には無理があると思うし。
天然理心流から離れた時期も、石田散薬の行商をしながら他流試合で腕
を磨いていたとすれば、肩書きこそ目録でも実力は他の新撰組の連中と
比肩してて、それだからこそ副長として上に立つことを皆が認めたのでは
ないんかな。

35: 02/12/02 22:30
土方の得意技「諸手突き」
沖田も突きを多用。
所謂、「ちゃんちゃんばらばら」はまれだった。

36: 02/12/03 02:48
突きは先手を取れるし、かわされても二の突き、三の突きと追い詰めれるからなあ。
いわゆる時代劇ふうう立ち回りは、虚構にすぎない。

示現流のトンボ、突き、居合い、どれが一番先の手をとれるのだろうか。個人差はあるだろうが、興味は尽きない。

38: 02/12/03 03:13
みんな想像などではなく、ちゃんと文献に基づいた
発言をしようぜ。

40: 02/12/03 10:56
天然理心流って防具つけて竹刀で稽古とかしてたんですか?
木刀で直に殴り合ったりするんですかねえ?
実践向きの流儀とはよくききますが。

41: 02/12/03 18:46
>>40
もちろん防具をつけての稽古もあったわけよ。
土方は赤い面紐を好んでいたらしい。

ただし、桐野よりも強かった云々などは
新選組に関するどんな本にも載っていない。

43: 02/12/03 20:19
>>41
桐野の示現流?の最初の一撃を受けられたのは、土方だけだったと書いて
あった。桐野より強いかは不明。

42: 02/12/03 19:00
土方をカッコイイと信じてきて、写真みたときガ━━━(゚ロ゚)━━━ン。
やっぱ昔と今じゃイイ男の定義は違うのね。

43: 02/12/03 20:19
>>42
土方の写真は3種類位ある。そのうちの1枚はかなりハンサム。多分
修正されたものと思われる。
漏れは沖田の肖像画のコピー持ってるよ。
やっぱヒラメのような顔してる。

44: 02/12/03 20:36
>>42
新撰組の中では一番カコイイと思われ。

45: 02/12/03 20:41
新撰組は土方いなけりゃ、ただの殺し屋集団。

48: 02/12/03 20:52
そもそも桐野と誰も戦ってないだろ。

49: 02/12/03 22:18
土方の写真のうち、目の輪郭がハッキリとした
妙に若々しいのは修正されたヤツだよね。
あとの2つが本来の土方像ってことになるけど、
充分格好いいと思うぞ。
一応土方の容姿について記した当時の風評を並べておくと 
 「身丈五尺五寸、眉目清秀ニシテ頗ル美男子タリ」・・・両英雄士伝補遺
 「身長もすらりとした、あの仲間うちでは男っぷりもよい方」・・・史外史譚剣豪秘話
 「ことに土方の如きは役者とでもいいたい位の色男然たる風貌であった」・・・漫談明治初年
こんな具合です。

50: 02/12/03 23:26
>>49
べつに悪くはないが、正直普通のオジサンという感じだよ。
修正前の土方の写真。
やっぱり昔と今とでは美的感覚が違うのだと思う。
桂小五郎の写真はハンサムだと思うけどね。