1: 02/12/01 09:57
知名度低いね。

引用元: ・●立花宗茂て最近までマジ知りませんでした。

2: 02/12/01 10:03
関ヶ原合戦から後処理の経緯をずーっと追っていけば、必ず出てくる名前だが。

4: 02/12/01 10:19
誾千代タンのご主人でしたっけ?

5: 02/12/01 10:29
立花藤兵衛との関係は?

6: 02/12/01 10:32
立花宗茂が関ヶ原後、領地柳川で11月半ばまで抵抗したのに減封されたとはいえ
お家取り潰しにならなかったのは何故?

8: 02/12/01 10:40
>>6
抵抗したからじゃないの?

9: 02/12/01 10:46
↑ だから、なんで取り潰しにならなかったの?

11: 02/12/01 10:52
>>9
さらに抵抗されたら困るからじゃないかな?
せっかく、名実共に天下人になり
これから政権の安定化を計らなくちゃいけないときに
延々と籠城戦されるより、政治的にはよいじゃん?

上杉も、島津も取りつぶしになってないよ。
真田も城に籠もって、助命されている。

10: 02/12/01 10:48
本郷と一文字が大首領を倒したからだろ。

12: 02/12/01 10:55
一回取り潰されてるよ。ちゃんと勉強汁。

13: 02/12/01 11:00
真田の場合は昌幸は西軍だったが息子の信之が東軍で、戦後、信之の嘆願で
助命され高野山に蟄居している。
宗茂は鍋島勝茂の攻撃に和議ではなく降伏したのでは?

15: 02/12/01 11:12
一度改易されたのに、また復活する例も少ないと思うが、これもなんでやろ?

16: 02/12/01 11:18
>>15
>また復活する例も少ないと思うが、
西軍について復活したのは、例が少ないどころではなく、
立花宗茂ただ1人だよ。

24: 02/12/01 18:28
>>16
岩城貞隆・・・

25: 02/12/01 21:25
>>24
おお、調べてみたら一旦廃絶の後、再興しているものが何家かありますた。
私の読んだ本には、そう書いてあったので確認せず、鵜呑みにしてました。
情報有難うございます。

26: 02/12/01 21:35
>>25
責任とってセプーク汁!

27: 02/12/01 22:40
>>26
はい、回線切って逝ってきます‥

28: 02/12/02 10:54
>>27
死ななくていいから、罪ほろぼしになにか書いて
ここを盛り上げるべし

41: 02/12/08 13:02
>>28 わ!大変だ(汗)

17: 02/12/01 11:18
>>15
しってるくせして。

18: 02/12/01 11:21
いずれにしろ、何でなの?

23: 02/12/01 13:29
宗茂はマスオさん=婿養子。以上。

29: 02/12/06 19:14
棟上

31: 02/12/06 21:49
大友家は庶子が大友を名乗ることを許さなかった。
立花家は、大友の一族。

32: 02/12/06 21:50
秀吉からは西国無双と讃えられたね。

36: 02/12/07 09:16
「葵徳川三代」では大和田伸也がやってたね。
毛利輝元(宇津井健)たち毛利一族のヘナチョコぶりに激怒して
大坂城を去るシーンが忘れられない。

37: 02/12/07 10:17
>>36
あの時、大阪方が篭城戦を試みたらどうだったろう。
やはり最後は、講和して同じ結果に‥
でも豊臣恩顧の大名は、あいてが三成だったから戦ったわけで
さすがに秀頼のいる大阪城は攻められず、家康も困ったのでは‥

38: 02/12/07 10:35
>>37
秀忠の徳川本体も合流しちゃうから、関ヶ原のようなチャンスに恵まれない。
そこが面白みには欠けるけど、確かに秀頼を巡っての政治的な駆け引きが
どうなったかは興味深いね。

40: 02/12/08 01:42
>>38
それでも、大坂の陣より勝ち目がある!
まぁ、毛利がそれをやる義理は無いけれど。

42: 02/12/08 15:22
大友の一族なんて問題ない名門だね。
    

43: 02/12/08 15:53
東の本多忠勝 西の立花宗茂

44: 02/12/08 17:22
彼の奥さんは戦場に出たりしたの?

45: 02/12/08 17:26
当然、出たでしょう

46: 02/12/08 17:34
最後はキ印!

47: 02/12/08 17:46
って誰がキ印やねん!

48: 02/12/08 17:59
宗茂の嫁ですたい。

49: 02/12/08 18:03
秀忠「立花、そちも奥には苦労しとるようじゃな。。。」

50: 02/12/08 18:31
柳川城を攻めた鍋島直茂は、その前の関ヶ原戦では、けっこう、ズル賢く
立ち回っている。家康の会津出兵を知ると直茂は銀子500貫で家臣3人に
米を買い付けさせた。そして石田らが挙兵すると西軍に一味しながらも、
宇都宮にいた秀忠には尾張から関東までの買い占め米の目録を送り、家康を
安心させていた。