1: 02/12/06 11:17
日本の近代化に貢献した人物を忘れていませんか?

引用元: ・偉大な政治家藤原不比等

3: 02/12/06 11:40
田辺史のこと?っていうか、近代化?

4: 02/12/06 13:15
日本史の教科書に出てる?

5: 02/12/06 13:22
失礼なこと言うものではない。
御方は近江国11郡に封じられ、淡海公と称することを許された貴人であらしますぞ
ひかえなさい!

6: 02/12/06 13:35

今、子供の名付けの本に載ってるみたいだよ。不比等って

9: 02/12/06 13:54
天武天皇の妃だった異母妹五百重娘との間に麻呂を作ってる

10: 02/12/06 13:57
麻呂って病弱だったんだよね。やっぱ近親は良くないってことかな。

11: 02/12/06 14:31
大宝律令の編纂と実施
平城京遷都
和同開珎の発行
元号の復活
遣唐使の復活
国史の編纂

>1さんへ  
こんなところでどないでひょ
調べるのが大変だ

12: 02/12/06 15:44
不比等のオヤジは、鎌足。
この人は、天智天皇の重臣だよね。
そして、天智天皇から天武天皇への承継は
実は、皇統が替わったという説もあるくらいの権力の交替だよね。(壬申の乱)

なのに、不比等は、天武系の皇統(持統の代)で事実上の最高権力を握る。
どうやって、とりったのかな。
持統は、天智の娘だから?
でも、壬申の乱のときは、命をはって、天智系の弘文天皇に反旗を翻しているし、
親父の重臣だったから取り立てたとはちょっと考えにくいよね。

知ってる人教えてください。

14: 02/12/06 16:07
難しいね、判事に任官するまではまったく謎だからね。
でも草壁皇子から刀を賜っているからその近辺にはいたんだろうね。
天武天皇は鎌足を嫌っていた感じはないし、二人の娘を妃にむかえているし、
天武期の不比等はまだ20台、名前が出てこなくてもしょうがないんじゃないかな。
雌伏の時だな

15: 02/12/06 16:12
積善藤家

17: 02/12/06 16:37
俺的には、恵美押勝が最高だね。

18: 02/12/06 16:50
橘三千代は何歳で不比等に嫁いだのだろうか?

24: 02/12/06 22:30
>>18
権力維持のため、姦夫と奸婦がくっついたんだろ。

19: 02/12/06 16:58
恵美押勝の娘の一人が、近江で捕らえられた時、千人の兵士に回されたって知ってる

20: 02/12/06 17:18
待ってるのが大変だね。

21: 02/12/06 17:30
お下劣ものはおやめくだされ。草場のかげで泣いておじゃります。

三男の宇合なんてどうよ!遣唐使には任命されるし、帰国すれば陸奥まで行かされる。
と思ったら漢詩や和歌も残っていると文武両面で活躍している。カッコよすぎるよ。

22: 02/12/06 17:50
麻呂も陸奥まで行ってるし、万葉集に和歌が入っているよね。

23: 02/12/06 22:07
天武朝末期には直広し(変換できなかった)に叙任されているので、有力官人の一人として
20代で天武天皇に仕えていることになるはず。
この時代に20代で叙任されている人はいないと思う。皇親政治の天武天皇も不比等の能力を認めている証拠ではないか

26: 02/12/07 08:29
本当です!!
僕はそこにいたのですから。

27: 02/12/07 10:26
国史編纂によって現政権の成立を合理化し、律令編纂により現体制を将来にわたり保存しようした大政治家であろう。
お父さんの鎌足は一代の成り上がり者であり、しかも天智天皇のブレーンとして有名なのだから、天智朝を打倒した
天武朝ではその反動で冷や飯食いになりそうなものだが、天武朝でも重用されたのはよほど役に立つ人材だったのか。

まあ、壬申の乱は国家のあり方を巡る権力闘争というより、天皇家の内輪もめがメインのようだから、ほかの氏族には
あまり影響がなかったのかもしれない。

29: 02/12/09 12:02
>>27「(父親の鎌足が)天智天皇のブレーンとして有名なのだから、
天智朝を打倒した天武朝ではその反動で冷や飯食いになりそうなものだが、」

 この点なんですが、天智朝(皇太子・称制器官を含む)末期の政策
(百済べったり、唐の来襲を極端に恐れる)決定・執行にあたっては、
ほとんど鎌足の名前が出てきません。
 一方、この時期、大海人皇子は親新羅色を鮮明にして、
徐々に天智との対立色を深めていきます。
 そこで、ここからは推測なのですが、
 鎌足は、暴走し始めた天智から一定の距離を置くことにした。
 大海人皇子が力を持ち始めているから、天智の政策に積極的に荷担しないことをもって、
大海人側とも気脈を通じようとした。
 また、年少の嫡男(長男定慧は死亡)を権力闘争の枠外(具体的には、近江朝の外で養育)に出した。
 そして、そのまま、鎌足も死に、天智も死(暗殺説もありますね)に、壬申の乱に至った。
 鎌足の読みは当たり、壬申の乱に巻き込まれなかった不比等は、天武朝の下で何とか登用されることになる。
 そして、その天賦の才を認められることになる。
というふうに考えたのですが、どうでしょうか。

31: 02/12/09 18:04
>>29,>>30
私の知識の源は高校日本史の教科書ですから、あまり突っ込まないでください。
正直、田辺史なんて人物は習った記憶がない。初めて知ったぞ。

29、30に描かれた鎌足の姿はそのとおりだと思います。彼が天智・大海人両陣営
の緩衝材になっていたのかも。不比等が壬申の乱で生き延びたのは、年少だった
ことが主たる理由なんですかね。計算して分かったけど、14,5歳だからね。

あと、不比等が大織冠鎌足の子でありながら、持統側近の橘三千代を妻にして
実力をつけていくなんて、想像するだけでも愉快。二人とも再婚だし、お互い
計算づくだったような気がするが。
勉強になりましたよ。サンクス。

28: 02/12/08 22:03
彼こそお札になるべき人物。

32: 02/12/10 11:34
>>28
 そうなんだよね、統治者として、外国から自立した日本を築くために、異端を排除し(役小角の追放など)、
天皇中心の国家観の礎を築いたということでは、歴史上もっとも偉大な政治家だと思う。
そのために、万世一系の天皇という、連綿と現代まで影響が続く大嘘だが壮大な系図を考えついたことがすごい。
 (もちろん、藤原氏を正当化することも忘れていない。)

 でも、そんな不比等の肖像って見たことないのだけれど、どうしてだろう?
 

33: 02/12/10 17:18
>>32
昔は肖像画を書く習慣がなかったから不比等の肖像画はない。
しかし、室町時代以降に書かれた物なら談山神社にある。
もちろん想像で書かれた物です。

ネタスレでマジレスしたのかな。スマソ。

30: 02/12/09 15:20
壬申の乱は、天皇家の内輪もめという性格だけを持っていたのではない。近辺の有力豪族にかなりの影響をおよぼしていた。
でなきゃ、あんなに大きな争いにはならなかっただろう。
鎌足は、自分の娘を天智天皇や大海人皇子の両方に嫁がせている。どちらにも転べるようにとの保険だった。
不比等は幼少期に百済系渡来人の田辺史に養育されたとある(『尊卑分脈』)。 
不比等が鎌足の息子であるのに、天武期に全く登用されなかった理由として
①壬申の乱で一族のものが近江側についた
②養育者田辺史の一族のもの(田辺小隅)が近江側で大活躍をした
などがあると思う。
で、持統期になってやっと登用されるようになったのは、不比等の才能もあっただろうが、
私は田辺史の人脈によるものだと考えている。不比等の後妻の橘三千代の出身地は、田辺史の本拠地に近い。
三千代は持統期にはすでに持統天皇の側近として活躍していた。田辺史が2人をつなぎあわせたのかもしれない。
とこんな感じに思いました。

34: 02/12/10 19:36
肖像が残っていない不比等の顔については、角川書店の「日本史探訪 古代編」の中で、
上田正昭先生だったと記憶してますが、不比等が信仰していた維摩の人となりや、
法華寺の維摩居士像にからめて、面白い話をしておられます。
法華寺へ行って実物を見たら納得。確かに、一筋縄ではいかない男って面構えでしたね。

37: 02/12/10 20:35
>>34
上田正昭さんじゃなくって
上山春平さんじゃなかったっけ

38: 02/12/10 20:41
>>37
おお、そうでしたか。上田先生は別の単行本で不比等を論じておられて、
私はそれと勘違いしたのでしょう。ご指摘ありがとうございます。

35: 02/12/10 19:57
田辺某というのは二流あって、一つは帰化系、もう一つは下野あたりの出だと
聞いたことがある。不比等を養育したのは、なぜか「史」だけど
関東出身の田辺だったような。

42: 02/12/11 12:00
不比等の妻娼子は蘇我連子の娘。持統の母は蘇我石川麿の娘。連子と石川麿は兄弟。この血脈が親任の原因の一つかも?

43: 02/12/11 12:08
今の天皇は継体系からという罠。

44: 02/12/11 12:10
でもさ、天武系(大海人)になって、
新羅との関係は、むしろ悪化したんだよね。

49: 02/12/11 13:08
>>44 でもさ、天武系(大海人)になって、新羅との関係は、むしろ悪化したんだよね。
 この点ですが、新羅本国の問題が絡んでいると思います。新羅本国で王が代わっているはずで、対外政策が変わった。
 もう少し言うと、新羅本国で天武(朝)を応援する勢力が劣勢になった、ということではなかったかと思います。
 後で調べておきます。

45: 02/12/11 12:12
それを万世一系と捏造したのが業績なんだろ。(w

46: 02/12/11 12:17
天智と天武は兄弟だけど、二人の支持基盤は違うだろう。
それと、当時の婚姻関係は、儒教思想とかが未熟な頃だから、
たとえば、兄と妹でも、腹違いなら結婚したりしてたわけで。
当時の服装なんかでも、典型的な東洋(中国を中心とした)の風俗とは、
大きく違っていたと思われ。
たしか、おじぎをするようになったのも、天智の頃だ。
唐風に色々改革しだした。

47: 02/12/11 12:22
でも、天武系は、結局絶えて、天智系に戻る。
しかも、そのあと、藤原一族の力が大幅に増大。
事実上、他の豪族は、政権の中心部から消される。

48: 02/12/11 12:23
天智と天武は兄弟ではない。