1: 02/12/09 18:18
キリスト教の無い日本史においては古代と中世の線引きは
何を基準にするのが正しいのでしょうか?

引用元: ・何を基準に古代と中世を区別するの?

3: 02/12/09 21:28
たしか土地を媒介にした主従関係(いわゆる封建制度)の有無だろ?
鎌倉殿と御家人との御恩と奉公ってやつだ

5: 02/12/09 22:05
>>3>>4
では、中世の始まりは平家政権からになるのでしょうか?それとも鎌倉幕府からになるのでしょうか?

4: 02/12/09 21:53
江戸時代の学者が公家政権時代を「上世」
武家政権時代を「中世」、徳川時代を「近世」
としたのがはじまり。
西洋史の古代・中世・近代とはもともとは無関係だった。
「上世」はまた太古・上古・中古・近古にわけられていた。

7: 02/12/09 22:37
>>4
違うよ古代、中世、近代の分類は西洋史のもろパクリ
だから日本史には厳格には適用できず、矛盾がでてくる

27: 03/01/06 01:05
>>7
パクリもクソも無いだろう

14: 02/12/10 09:49
大化改新から中世とすれば西洋史とも中国史ともそこそこ整合するんじゃいの?
ただ>>4のような江戸時代からの慣用にひっぱられて
「武家政権→封建社会→中世だろ?」との思い込みで混乱してるんだろう。

6: 02/12/09 22:27
早い人は荘園制が成立した王朝国家(摂関政治期)。遅い人は江戸幕府の成立。
主流、保元・平治の乱の頃

8: 02/12/09 22:59
普通は中世といえば荘園制の成立から太閤検地まででは。しかしこんな本を
読めば分かるような質問でスレを立てるとは高校生であるにせよ酷い。

9: 02/12/09 23:04
>>8
荘園制の成立・・・って懇田永年私財法からだろ?
もろ古代じゃん

10: 02/12/10 01:19
>>8
どうして荘園制の成立から太閤検地までを中世とするのか教えてください。

11: 02/12/10 01:24
それと>>8に対する反論ですけど、本によって古代と中世の線引きが違い、
読めば読むほど分からなくなったのでスレを立てたわけです。

12: 02/12/10 08:52
荘園経済ってのは中世的な特徴ですにゃん
これは8のいうとおり

13: 02/12/10 09:05
シナでは荘園経済のまっただ中で律令制や均田制が導入された.
これらは本来,中世的な現象です.
ところが日本では,経済の発達段階とは無関係に同時代のシナから制度を
輸入したために,古代と中世とがねじれることになった.
シナでは三国時代あたりから中世なので隋唐の社会は中世の後半ぐらいだろう.
班田収受だの律令だのを古代の特徴と考えてはいけない.

17: 03/01/04 14:18
租税の納めるのが、租庸調の時代が古代、年貢の時代が中世、税金の時代が近代と教えられた。

20: 03/01/04 14:29
税を都におさめるのが古代、
税を地元の当局におさめるのが中世。
私有荘園が早くおこった地域では中世が他の地域より早く来たことになる。

これがわりあい妥当なのでは。

22: 03/01/05 01:56
つってもな、歴史を扱ううえで、
ごく便宜的に、ざっくりと色分けができるというだけの話なわけで、
厳密にやろうとすること自体がナンセンス。
1467年と聞いてその頃の支配体制や権力構造が即座にわかる人には時代区分はあまり用立たない。
「1192作ろう」と「天下を1600」の間だから、、、
だいたいあんな感じの世相か、
とまあこういう風に使うべきシロモノだから。本来。

44: 03/01/18 23:40
教科書的には
・古代:平安時代まで
・中世:鎌倉時代~安土桃山時代
・近世=江戸時代
・近代:明治~WW2終戦
ってかんじだな。

>>22
1467は有名だろう?「人の世空し」だろ。最近は言わないのか?
ちなみに俺が小学校で習ったのは
・645 虫五匹
・710 納豆食ったら
・794 なくよウグイス
・894 はくしに戻そう
・1192 (略)
・1333 いちみさんざん
・1467 (略)
・1600 (略)
・1868 イヤロッパ
かなぁ。

23: 03/01/05 02:04
関係ないが、「代」と「世」はどう違うの?

24: 03/01/06 00:25
ついでに時代の呼び方も再編しよう。
上古~律令制定 神話時代
律令制定~743年 律令時代
743年~平氏勃興 荘園時代
平氏勃興~1192年 平氏時代 
1192年~1467年 前期武家統治(前源時代)
1467年~織田勃興 分治時代(戦国)
織田勃興~1600年 織豊時代
1600年~1868年 後期武家統治(後源時代)
1868年~1945年 前期官僚時代(帝国時代)
1945年~ 後期官僚時代(民主時代)

25: 03/01/06 00:57
日本史上、中世の起点は院政の開始なんだとかで。
まあ、庄園制度と大きく関係するんだろうけど、
院政が確立された時には世の中は古代と大きく変わっていて、
その最終的なしめくくりとして院政が完成したと考えるべきなんでしょう。
まあ、時代ってのは点で区切れるようなもんじゃないから、
あくまで目安として知っておけば十分なんじゃない?

ただ、日本史の中世は、
ローマ帝国(西)の滅亡からコンスタンティノープル陥落までを中世としている
ヨーロッパの一般的な通史区分よりはよっぽど科学的で、まともな意見だと思いますが。

26: 03/01/06 00:58
中世史専門の学者と古代史専門の学者の話が食い違うあたりが
それではないかと。

28: 03/01/06 02:38
区分はそのままでよいが翻訳語が気にいらないので、
近代以前の古代、中世、近世を、
王朝時代、封建時代、後期封建時代として、
大和時代以前を前王朝時代とするのがよいかと。

32: 03/01/18 00:51
しかし、日本史の中世という概念を、シナや西欧と同じにしようとすること自体に無理があると思われ。
まったく異なる歴史をたどってきたわけだから、同じ尺度で見ようとするのは、無理がある。

> 743年~平氏勃興 荘園時代
この期間の前半は、まだ荘園はマイナーな存在じゃないかい?
荘園公領制あたりからじゃない?

36: 03/01/18 22:23
>>32
朝廷が土地公有制の国家原理を決定的に捨てた、
そこを起点におく、という判断です。
ヤカンの水が湯になったときをとらえるのは難しいですが、点火した時点ならばとらえやすい。
まあそれ以前にも部分的解放はありましたが、後世の社会に与えた影響の多寡でAD743をとりました。
現代人にはピンと来ない部分ですが、古代王朝の強烈な原理的正義が「農耕」であったことは注目に値します。
土地公有制とはむしろ非農耕部族の農化政策とみるのが妥当でしょう。
そのフロンティアが飽和して国家原理が消滅するのが6世紀頃かと思われます。

47: 03/01/19 02:11
>>36
>朝廷が土地公有制の国家原理を決定的に捨てた、
これは、ちょっと・・・
普通、土地制度で言う場合、律令制度の終末期から王朝国家体制を経て、荘園公領制に移行するって感じだと思うけど。
「朝廷が土地公有制の国家原理を決定的に捨てた」ってのはねぇ。
大体、10世紀末あたりから王朝国家体制と呼ばれるんだけど、この時期、メイ
ンは公領のほうだからね。荘園はあくまでも付属みたいなもの。寺社に対して
財政源の付与みたいなのが多かったと思ったけど。

新任国司到着後に国内の公領と荘園の調査を行うけど、その場合、新開地の申
し出があると公領に組み込まれるのが原則だからね。だから、摂関家にしても
荘園からの収入はかなり少ないよ。
土地公有制を捨てたわけじゃないし、荘園が多かったわけでもない。単に、土
地私有を朝廷が認めたということを過大評価しすぎ。

律令制と王朝国家体制の違いは、
・戸籍・計帳などを作って人民を直接支配することをやめた
・国内を名という単位で管理し、それぞれ負名に経営を任せ、国司は負名から税を取り立てた
とかかな。まあ、ほかにもいろいろあるけど、とにかく、院政期に荘園公領制
に移行するまでは、荘園は例外的な土地所有形態で少数派だと。

50: 03/01/20 05:19
>>36
墾田永年私財法は日本の律令制(熟田主義)に欠けていた
墾田規定を示したもので、律令制の反対物ではない。
律令制下の荘園と中世の荘園は、内部形態も国制上の位置も
全く違う別物。

33: 03/01/18 02:25
院政から鎌倉は、まだまだ過渡期。中世の進行は、ずいぶんと緩慢に進んだ。

35: 03/01/18 21:40
一般的には古代に比べて中世は地方の独立性が高まったと思うようだけど、
日本の古代が何も中央集権ではないよ。恐らく律令制のことをイメージしているの
だろうけど、律令制の前は地方だらけだったんじゃないかな。
もともと地方分権的社会だったのが、一時律令制によって中央集権的に
なったけど、直ぐ又地方主体になって行ったと思うよ。

37: 03/01/18 22:39
701年に大宝律令がやっと出来て、早くも743年に崩壊。
要するに輸入物の律令制はうまく行かなかったということですよね。
土地公有制の原理というのも、ほんの一時のことだった。

39: 03/01/18 22:57
「一時の律令制」の前後で社会にそんなに違いはあるのか?

41: 03/01/18 23:06
>>39
ですね。
~律令まで、というのは私の誤りです。
朝廷成立までをくくって「前王朝時代」とするのが最も妥当かも知れません。

40: 03/01/18 23:01
まあAD701には律と令が整備されて、輸入物の律令体制が確立するわけですが、
土地公有制度そのものはその前からあったとみていいのではないでしょうか。
というのも、少なくとも大和朝廷がさす「農業」とは、
(当時としては)かなり高度な土木技術と、
莫大なインフラ整備費用と労力を要するものなので。
農業インフラ整備はまさに国家的事業であったと考えます。
そう考えればむしろ公有こそ自然な成り行きというものでしょうね。

42: 03/01/18 23:09
国内の統一は、国外の力を意識したときに生じますね。日本は2度と思います。
大唐帝国の力に対する律令制の時と、黒船・列強の力に対する明治維新。
その他は統一なし。

地球も他惑星人の脅威があれば統一するでしょう。

43: 03/01/18 23:12
元の襲来を見落としている。
あのときはむしろ四分五裂した。

45: 03/01/18 23:56
有名かどうかより、
年号を聞いただけでその年起こった事件を即座に察し、
その時々の社会システム及び権力体制、事件が起こった背景まで分かる、
つまり日本史板にいるような人になるかと思うんだが、
そういう人には時代区分をする必要性がそもそもない。という話。
だいたいにしてそういう人ってのは、
たとえば近世をとってみても前期と後期では
その社会の様相が著しく違うことまで知っているわけで、
所謂教科書的な時代区分なんて不要なわけでしょ

46: 03/01/19 00:04
時代区分の議論は、時代の社会的特徴を述べ合うもので、必要ではないけど、
それなりに興味深い議論の方法と思うよ。

48: 03/01/19 14:25
ひとつの名の規模、面積、人口はどのくらいだったのでしょうか?
地方によって様々でしょうか?

律令以前の自立した豪族が地域(1つの水系)を支配しているという状況と、
その豪族を郡司に任じて支配を任すというのでは(荘園公領制)、
地域社会の側では何も変わっていないような気がします。

50: 03/01/20 05:19
>>48
>その豪族を郡司に任じて支配を任すというのでは(荘園公領制)
事実認識として誤り。