1: 02/12/10 21:27
について考えよう。

引用元: ・藤ノ木古墳の被埋葬者の推定と、斑鳩との関係

4: 02/12/23 22:54
藤ノ木古墳の遺物はせいぜい中国止まり。
新沢千塚古墳ははるかに飛び越えてヨーロッパの遺物が出ている。
戦後の発掘調査で遺物がヨーロッパまで及んでいたのは新沢千塚古墳だけ。

遺物の一部はヨーロッパまでつながっていることを考えると、おそらく、
鮮卑など中国の北方系の人達と古代日本人との間にも間接的交流があったと思われ。

5: 03/01/04 06:49
埋葬物からの埋葬者の推定ってどのくらい進んでいるの?

7: 03/01/12 09:08
石棺内は未盗掘で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っているのが重要。

被葬者は2人で、片方は17~25歳の男性だけど、
もう片方は年齢不明でしかも男性の可能性が高いという程度。

石棺内の副葬品は豊富で、各種の金属製の玉類、1万数千点を超えるガラス玉などの
装身具、冠・履・大帯などの金属製品、四面の銅鏡、玉纏大刀、剣など多数。

さらに、遺体を覆っていたと思われる繊維製品も多量に残出。

9: 03/01/17 03:52
聖徳太子の可能性はあるんですか?

12: 03/01/31 07:54
やはり、聖徳太子に絶滅させられたものの祟りを恐れてという見方が正しかったのか。

13: 03/02/08 23:45
すると崇峻天皇ではないかと思われ

14: 03/02/15 16:45
藤ノ木古墳に埋葬されているのは崇峻天皇と崇峻天皇を押さえるための僧侶

16: 03/02/24 23:25
>>14
証拠を示してください。

15: 03/02/16 23:19
  天武天皇の皇子の墓か  奈良・高取町で7世紀末の古墳発見  「キトラ」との共通点多く
 奈良県高取町の森カシ谷遺跡を調査中の同町教育委員会は13日、7世紀末の古墳を新たに見つけたと
発表した。朱雀などの壁画が見つかったキトラ古墳(同明日香村、7世紀末ー8世紀初め)と共通点が
多く、同じ規格に沿って築造したとみられる。同町教委は「天武天皇の皇子クラスの墓ではないか」
とみている。
 見つかったのは「森カシ谷2号墳」。丘陵の南斜面中腹に造成した平たん地に土を盛って築いて
あった。墳丘はほとんど削り取られ一部しか残っていないが、直径約14㍍、高さ5㍍程度の円墳
だったと見られる。
 墳丘の真下にあたる基盤部に、内部に石を詰めた幅約60㌢の排水溝が2本、十字に交差して
残っていた。立地状況や墳丘の直径などがキトラ古墳とほぼ同じだった。
 古墳のある丘陵は飛鳥の西南にあたり、周辺には高松塚古墳や天武・持統天皇陵など同じ時期
(古墳時代終末期)の古墳が集中している。
 河上邦彦・奈良県立橿原考古学研究所付属博物館館長の話
風水思想にのっとった立地。一帯は天武・持統天皇一族の墓域だったと推定されており、同天皇の
皇子か皇女の墓である可能性は高い。(日経03・02・14朝刊)

17: 03/03/03 00:14
崇峻暗殺にからんでるのは間違いなさそうだな

18: 03/03/09 15:05
被葬者は学者によって諸説ありますが
①河上邦彦・奈良県立橿原考古学研究所副所長=平群氏
②猪熊兼勝・京都橘女子大教授=小姉君とその皇子
③高田良信・法隆寺長老=崇峻天皇
④白石太一郎・国立歴史民俗博物館教授=穴穂部皇子と宅部皇子

日本書紀・崇峻二年(587年)六月七日、蘇我馬子が佐伯連丹経手らに「兵を
ととのえ、急行して、穴穂部皇子と宅部皇子を殺せ」と命令
この日の夜半、穴穂部皇子の宮を囲んだ。この時、兵士が、楼の上に登って、
穴穂部皇子の肩を撃った。皇子は、楼の下に落ちて、かたわらの室内に逃げ込んだ。
兵士達は火をともして殺した。
翌日、宅部皇子を殺した。穴穂部皇子と仲が良かった。それで殺した。

藤ノ木古墳の被葬者の人骨は男性二人らしいこと、副葬品が後から動かされた
形跡がないことから、二人同時に合葬されている。日本書紀の記述とも矛盾しない
ので、個人的には④かなと・・・

19: 03/03/09 17:48
>>18
漏れは③を支持。

法隆寺長老が唱えているように、かなり昔から法隆寺には
藤ノ木古墳を「御陵」とする伝承があったのも事実。
「御陵」は皇子クラスではなく、天皇クラスと思われ。。。
でも、科学的根拠はNothing。

23: 03/03/10 01:10
>>19 ③の場合、日本書紀・崇峻五年(592年)十一月三日、蘇我馬子の
刺客、東漢直駒が崇峻天皇を殺した。その日のうちに倉梯岡陵に葬った。
とあります。現在、学者のあいだでは奈良県桜井市の赤坂天王山古墳が
崇峻天皇陵に有力とされています。
そういえばこの赤坂天王山古墳も天皇陵に指定されていないので、自由に
出入りができますし、橿原市五条野町の植山古墳も、改葬前の推古天皇と
竹田皇子の大岡陵では、といわれているし、結構宮内庁指定外の古墳て
多いですね。

24: 03/03/10 23:18
>>23
現在の天皇陵比定は明治時代に行ったものらしい。
従って、特に戦後の研究により、明らかに天皇陵の比定に
無理があると認定されるような場合でも、比定自体に変更が加えられていない。

実際、間違いなく「その天皇の御陵だ」といえるのが
天武・持統陵くらいなんだって。それも盗掘した際の史料が残っているためとか。。。

20: 03/03/09 18:50
でもこういう場合、宮内庁の立場はどーなる訳?
関係ない陵墓まで参考地でツバ付けてるくせに。

21: 03/03/09 23:17
>>20
宮内庁の立場は気にする必要なし。
彼らにとって天皇陵は学問的対象でない。

22: 03/03/10 00:56
>>20~21たしかに宮内庁にとって天皇陵や、陵墓参考地は祭祀の場所。
ある宮内庁書陵部の人が「たとえ天皇陵の指定を間違えて祭祀をおこなって
いても、霊はこちらに来ているはず」と言ったことがある。
祭祀の場所として考えている宮内庁と、純粋に古墳を学問としている学者とは
考え方が根本的に違うようです。

30: 03/03/22 08:55
>>22
にもあるように、「霊は自分たちの比定した陵墓に来ているはず」と言っているし、
「墓詩でも出ない限り陵墓や参考地の変更はない」というのが宮内庁の立場です。
奈良県の束明神古墳(草壁皇子)や中尾山古墳(文武天皇)は、発掘から何十年も
経過しているけど、宮内庁は何も言ってこないもん。

25: 03/03/15 00:04
だけど、大山古墳が、明治時代になって、いきなり仁徳の墓になったわけじゃないでしょ?

26: 03/03/16 03:18
>>25
言葉足らずだったかな。

明治時代に比定されたといっても、明治時代から天皇陵を含めた
天皇家研究(?)がいきなり突然始まったわけではない。

徳川幕府の官学である朱子学に基づく尊王思想により、
江戸時代から研究は行われており、その成果の一つが宮内庁による
天皇陵の比定であった、ということ。

当然ながら、その頃から研究は進むし藤ノ木古墳のように
新たな発見もあるし、当然ながら比定が怪しい天皇陵もあるでしょ。
それを宮内庁は「陵墓参考地」としてあやふやなままにしているんだな。

28: 03/03/21 23:39
>>25
大山古墳は、大山皇子の埋葬墓。

27: 03/03/16 11:47
外池昇『天皇陵の近代史』(歴史文化ライブラリー83、吉川弘文館、2000/1刊)でも読みなされ。

29: 03/03/22 01:59
急に宮内庁がしゃしゃり出てきて、「参考地にするニダ、おまえら出て行け」って言ってきたらどうするよ。

31: 03/03/22 16:21
じゃあ宮内庁が新しい古墳を作ってそこで古代天皇総てを祀ればあとは全部掘っていいことになるな。

32: 03/03/22 16:31
でも、まあ、そんなことはしないだろうな~

33: 03/03/22 20:53
森 浩一著「語っておきたい古代史」(新潮文庫)
←陵墓問題(宮内庁絡み)に対する希望(不満)に
ついて語られている。確か最後のほうで。

34: 03/03/22 23:28
奈良県斑鳩町大字三井の富郷陵墓参考地って、やっぱり山背大兄がらみで宮内庁が
押さえているのかな?

36: 03/03/23 08:29
書陵部の連中も辛いのよ

37: 03/03/23 14:02
それはよくわかる。

39: 03/03/27 10:24
藤ノ木古墳は蘇我に殺された大王(崇峻)の墓で、法隆寺はそれを抑えるためのものということで終了

40: 03/03/27 15:45
>>39
じゃあ、もう一人は誰?

41: 03/03/29 13:29
>>40
盗掘しようとして引きずり込まれたヤツ、かな。

42: 03/03/29 16:25
>>41 石棺内の遺物の移動がないので、二人とも同時合葬です。それに、あの古墳は未盗掘ですよ。

43: 03/04/05 10:36
そもそも崇峻天皇って何才で殺されたんだっけ?

44: 03/04/05 13:06
今後、藤ノ木クラスの未盗掘古墳が出る事はあるんだろうか・・・

45: 03/04/05 15:56
『扶桑略記』には67歳で即位とあるな。ということは71歳で殺されたと。
ま、こんなのを信じてるのはデムパだけだろうが。

46: 03/04/06 15:16
物部氏説はどうでしょう?

47: 03/04/07 21:43
ない。
もっと勉強して来い!