1: 2015/06/05(金) 23:25:31.05
播磨の名族、赤松氏を語るスレです。

引用元: ・【播磨で】赤松氏【大暴れ】 [転載禁止]©2ch.net

2: 2015/06/06(土) 06:13:08.16
赤松円心しか知らん。
あと、室町将軍殺してるよな、この一族。
無茶苦茶やん。

3: 2015/06/08(月) 13:38:54.84
googleMapで佐用町見ると山間のど田舎だよな
住人ゼロの村でニュースになってたこともあるし
よくこんなところからいきなり播磨を制圧したなぁって驚くわ

4: 2015/06/08(月) 19:09:43.19
>>3
木材、紙、後、備前の鉄や武器を京都に販売してたから
商売上手だったんだよ

7: 2015/06/09(火) 17:51:53.88
>>4
北方円心も商売に手を出してたな

8: 2015/06/09(火) 22:48:13.59
御南朝の天皇を殺害した。
逆賊中の逆賊。

10: 2015/06/12(金) 18:14:18.67
>>8
蘇我馬子と赤松一族だけじゃないのかな、そんな事したのは…。
しかもそれで赤松家再興してるし…。
再興を許した北朝も北朝だが…。

9: 2015/06/09(火) 23:48:41.17
後南朝とかwww

11: 2015/06/19(金) 15:20:05.08
赤松則良が男爵になってるな

12: 2015/06/19(金) 23:03:05.18
赤松氏は宇野氏の分家筋なんだよな、確か。
遡ると村上源氏だとか…。嘘か誠か…。
出自がイマイチ怪しいんだよなあ。
まあ、自力で成り上がる力があった事は確かだが。

13: 2015/06/22(月) 00:39:14.12
久留米藩主だった有馬も赤松の末裔。伯爵になってる。

14: 2015/06/24(水) 22:03:06.79
「軍師官兵衛」で、珍しく赤松氏が出て来たと
思ったら、婚礼の席を襲撃、花嫁惨殺…。
鬼畜過ぎるやろ…。

15: 2015/07/06(月) 23:42:18.59
母親の実家が赤松の「御一族衆」に当たるらしいが、
結局帰農して百姓に。
まあ、どうせ「悪党」だからなあ。
真っ当な農民に戻れただけでも良しとするか。

25: 2015/07/12(日) 20:05:01.10
>>15
御一族衆も幾つか系統があるようですが、どういった系統なんですか?

16: 2015/07/08(水) 23:32:22.11
戦国時代の農民は米や作物だけを作って生活していた訳ではなかった。
むしろ生きるために雑兵として積極的に合戦に参加し、負けた相手の村で略奪や強姦、人身売買などにも手を染めていた。
「農民 乱取り」でググると出てくる

18: 2015/07/09(木) 15:28:02.79
>>16
おいW

19: 2015/07/09(木) 20:40:47.81
>>16
いま生きている日本人の先祖の8割以上が農民で、「農民イコール戦乱の犠牲者」みたいなイメージがあって、でもそれだけじゃなく、生きて行く為に結構えげつない事もやっているんだよね
そういう時代だったんだけど、武士だけが人を殺していた訳じゃない

17: 2015/07/09(木) 00:48:48.38
足利義教を暗殺して
壊滅した南朝に止めを差した赤松

23: 2015/07/10(金) 18:26:16.44
有馬や奥平も赤松一族

24: 2015/07/11(土) 22:37:40.82
赤松は、豊臣派だったからなあ。
徳川についてれば…。
でも、赤松は徳川とは合わなかったと思うから、
仕方ないか…。
下克上上等の赤松が、身分階級絶対派の徳川と
合うわけないし。

25: 2015/07/12(日) 20:05:01.10
>>24
赤松の子孫?

26: 2015/07/12(日) 23:30:07.81
景盛の末裔。
直系じゃなくてその分家筋だけどね。
まあ、一族の端の端ってとこ。

28: 2015/11/11(水) 20:52:38.20
将軍殺して堂々帰国

29: 2015/11/23(月) 17:56:02.15
細川内閣で大臣やった赤松良子も赤松子孫らしいし、有馬氏といい、将軍暗殺したりした割には結構残っているな
もうすぐ有馬記念だぜ

31: 2015/11/24(火) 03:44:09.38
赤松一族は美少年が多かったらしいな。
歴代の将軍の寵愛を受けててたとか。

32: 2015/12/07(月) 19:42:31.32
赤松氏を害すると三代続かないっていうのは、円心入道の呪いですか?

35: 2016/01/05(火) 12:26:59.31
足利将軍家の寵愛を受けていたから
美男が多いのかな?

36: 2016/06/20(月) 18:49:47.12
>>35 義教を殺した赤松満祐は、義教に赤鼻とバカにされていたが。

37: 2016/06/21(火) 06:23:44.71
傍流を近習にするのは惣領家に対する牽制だから
美男だからという訳ではない
他の大名家からも取り立ててる

38: 2016/06/21(火) 07:11:48.88
赤松氏の身長について質問します。
赤松の三尺入道という表現は有名で満祐のことだとされています。ネットなどでは将軍義教にこれが原因でいじめられていたとか書かれています。
しかし、三尺入道とはもともと義則のことのようです。また、ネットですが(本は見つけられませんでした)則祐も背が低いとされるものがあります。
実際のところどうなのでしょうか?知識がないので教えてください。
3人とも低い?
誰か1人だけ低くて他の人は混同されている(特に則祐は混同かも)?
義則も満祐も低い?その場合、遺伝ではないかと思うのですが、満祐の兄弟で他にも低い人がいるのでしょうか?

39: 2016/06/21(火) 10:16:18.54
>>38 則祐は6尺あるとどこかで読んだことがある。まあ、6尺と言えば高い
でしょう。しかし、同時代の和田賢秀と言うのは7尺を超えていたというから
驚き、従弟の楠木正行は小柄であったと言われているからね。

40: 2016/06/21(火) 21:49:15.32
>>39さま
38です。ご教示、ありがとうございました。
則祐は力士?であったとも言われているようですので納得です。
また、ご指摘の通り、近い血縁の者でも背の高さは違いますね(現代人でもそうだと思います)。
三尺入道と言われるような低身長の人の生殖能力というのでしょうか、少し気になっていました。
義則は子女がたくさんいますが、満祐は伝えられているのは教康だけです。

41: 2016/06/22(水) 00:37:35.86
ウチの近くの岡山県久米郡久米南町には赤松氏の一族、上野殿の支配地があったんだよ。
当主は在京だろうが、代官が来て支配していた。菅元首相の先祖(菅納氏)はその
家来だった。文献は、その痕跡があちこちにあるが、上野殿はすぐ滅びちゃって、文書は散逸。
痕跡だけだな。宇喜田さんの時代の直前だ。浦上さんと同時代かな。幻の歴史となっている。
地元の地誌みてもほとんど触れていない。(久米南町誌には載っていない。)郷土史家も知らないのかな?

42: 2016/06/24(金) 20:09:53.84
>>41
久米南町といえば法然と熊谷直実

47: 2018/04/05(木) 14:34:21.42
>>41
天文初頭はまだどうも上野殿(村虎)の行動が資料から見えるらしいけど尼子の侵攻以降はどうなんだろうな…

43: 2017/06/15(木) 19:53:26.99
受験で日本史選択して勉強したけど
嘉吉の乱のこと大人になってから知った。

兵庫県の加古川市民だから気になってみてみたら
将軍暗殺ってえらいことやっちゃってるやん!て驚いた。

んで、悪党の戦旗っていう小説読んで
南朝の帝やっちゃってるやん!2人も!ってさらに驚いた。

この小説面白かったです。無駄なこと書いてなくて。
お家再興は大変なことなんだけど
いわゆるお涙頂戴ものではないので読みやすかった。

信長秀吉に対して、播磨は反骨精神のかたまり
みたいな描写を見たことあるけど
赤松の色なのかもなぁ。

45: 2018/04/01(日) 08:14:20.92
足利義教公が生きていたら、中国も日本の植民地とし
日本が世界に冠たる最強国となっていた。
よって赤松は日本の繁栄ということにおいて、最悪の大罪人。

46: 2018/04/01(日) 08:32:52.41
また赤松は、戦国の世を再来させ人民を塗炭の苦しみに陥れ、
数え切れぬほどの人間が死んでいくことになったということに
おいても許されざる大罪人である。
歴史の情勢が見えていない、自分のことしか考えられない
どうしようもないボンクラであった。

49: 2018/04/08(日) 06:02:13.80
まあ、気性が激しくて短慮、妙にズル賢いところもある、という気質の人間が多い気がするね。
地道な努力を嫌う、人徳に欠ける、器が小さい・・という感じ。
ただ、 上からの一方的な圧力や支配には絶対に従わん!という気概だけは日本一だったW
そこに、知性や協調性、道徳心や自制心が加わっていればなあ、という気はするね。

50: 2018/04/09(月) 14:30:57.37
播磨、備前、美作、随分美味しいとこを頂戴したよな
ただ内憂外患ばかりであまり果実を味わった感じがしないけどw