1: 02/12/19 21:59
ビスマルク伝買おうか悩んでます

引用元: ・世界史の華『ビスマルク外交』

2: 02/12/19 23:06
どういうところが「華」なんだろうか。
偶然に助けられてたしかいいようがない。
本人はそんなに面白い人物じゃないよ。

6: 02/12/21 11:18
>>2
彼の対フランス包囲網は芸術
日本はおろか世界中探してもなかなか見つからない有能な外交官&政治家

3: 02/12/20 01:26
人生やろうか、やるまいか、悩んだものは、まずやってみる。

4: 02/12/20 12:30
>>3
せっかくのアドバイスだけどペリスケ買うから諦めますた

5: 02/12/20 14:48
俺は逆に迷う程度のモノは買わない。
あとでやっぱり止めとけば・・・となると鬱だからな。

7: 02/12/21 11:34
ビスマルク伝高いもんなあ。カブール伝も買うかどうか随分悩んだよ。

9: 02/12/21 14:17
ビスより、モルトケ外伝って無い?
昔ナベショーの「ドイツ参謀本部」読んで「カッコイイ!!」と
思わず叫んでしまった記憶あり!!

11: 02/12/21 22:07
プロイセンって萌える奴多いよね

フリードリヒ大王、グライゼナウ、シャルンホルスト、クラウゼヴィッツ
ビスマルク、大モルトケ

12: 02/12/21 22:18
みんな軍人やんけ

13: 02/12/21 22:22
>>12
文化人なんてチンケな野郎ばかりだよ。

16: 02/12/21 22:54
>>13書いたの俺じゃないけど、グリム兄弟とかはぼちぼちじゃないの?
でもやっぱりベルリンよりウィーンだ罠

15: 02/12/21 22:36
こいつがいなければ大学受験の1次大戦前のヨーロッパの問題は難しくなかっただろう
そして世界史に感動することもなかっただろう

17: 02/12/21 23:05
『プロイセンの歴史』を読んでるとどうもビスマルクはドイツ帝国の成立に
よってプロイセンがドイツに吸収されてしまう事を懸念していたらしい。
まあ、ビスマルク以上に皇帝陛下のほうが兄ちゃんと一緒で慎重だったらしいが

19: 02/12/21 23:09
>>17
ヴィルヘルムはドイツ皇帝に泣く泣く就いたそうな。

21: 02/12/21 23:13
>>19
おれはフリードリヒ・ウィルヘルム4世の宰相がビスマルクだったら
ドイツ帝国は平和裏に成立していたと推測する

18: 02/12/21 23:09
ビスマルクって自分の地位を脅かしそうな有能な奴を高い役職に就けさせなかったと聞いた。

20: 02/12/21 23:11
>>18
ビスマルク信奉者のウィルヘルム2世が己を解任するなんて思いもしなかったろね
本人は当然自分の時代が続くと思った

22: 02/12/21 23:15
恥ずかしながら、そもそもビスマルクが1862年に宰相に任命された具体的な理由を知らない
議会対策が理由だったことくらいは知っているが

30: 02/12/23 11:02
>>22
ビスマルクは国王と利益が直結するユンカーで貴族様です

1851-59ドイツ連邦議会(フランクフルトに機関をおくドイツ諸邦の政府代表の集まり)
にプロイセン代表として出席。議長国オーストリアあいてにごりごり、孤立も恐れずプロイセンの
権益拡大をはかっているウルトラ保守・愛国主義者です。
その後、パリ駐在公使。

おりしもプロイセンは1848年以来の自由民権騒動のさなかで、
国王・内閣は下院自由派弾圧のために軍事クーデターも辞さない緊張した
世相でした。
これをおさえるため陸相ローンが親友ビスマルクの起用を1862/9/18決意。
9/22、47歳でプロイセン首相に就任です。

現実主義者いうより、当時は、石原都知事なみの扇動政治家と左右からみられてましたが、
その後、鉄血演説、プロイセン憲法の不備をめぐって下院の承認なしに軍制改革に予算を
支出し、プロイセン憲法紛争をひきおこしました

31: 02/12/23 15:30
>>30
なるほど、皇帝と議会のパイプ役を期待されたわけですな

32: 02/12/23 17:06
>>30
かっこええの~
やっぱ政治家ってのはこうじゃなくちゃな

24: 02/12/23 03:35
ビスマルク体制萌え。
独vs仏でイギリスがドイツ側についたら一次大戦どうなったか考えると面白いね。

25: 02/12/23 09:14
プロイセンとドイツって違うものなの?

26: 02/12/23 10:03
ドイツ帝国は、プロイセン王国、バイエルン王国など、多くの国家の7連合。
プロイセン王国の国王と宰相が、そのままドイツ皇帝、帝国宰相となり、実質的には、同じと考えてもいい。

27: 02/12/23 10:20
確かに見事だがビスマルク個人の才能が無ければ維持できない外交体系
彼が失脚したあとドイツは奈落の底へ
あんまり高く評価できないかもしんない

28: 02/12/23 10:52
>>27
諸悪の根源は、アルザス・ロレーヌを奪ったことか。
ビスマルクは、フランスから奪うことには反対だったが、
世論がそれを許さなかった。
普墺戦争に続いて、勝利したにもかかわらず領土を奪わないとは、何事か。
それにアルザス・ロレーヌは、元来ドイツの土地だ。

35: 02/12/24 02:17
>>28
ビスマルクには「勝ちすぎてはかえっていけない」
というバランス感覚があったのだと思います。
日清戦争のときの伊藤博文や陸奥宗光の判断を思い出させますね。
あのとき、内村鑑三のような文化人も、
「まだ講和するのは早い。北京にまで攻め込ませろ」
という意味のことを言っていたくらいですから。

36: 02/12/24 04:41
>>28
でも、WW1 前にはもう多くのフランス人はアルザス・ロレーヌの奪還を考えていな
かったらしい。

29: 02/12/23 10:52
そういう意味でフリードリヒ大王と似てますな。
しかし何でドイツにはそういうタイプが多いんだ?

34: 02/12/24 01:09
かのウィルヘルム2世もかつて期待の星だった時期もあった
ロシア皇帝アレクサンドル3世に大変気入られ再保障条約の
更新を打診されたこともあったとさ

37: 02/12/28 11:46
ビスマルクは1887年に所謂地中海協定を結ぶんだけど
英国とは直接締結せず、オーストリアを介して同盟関係に入った
これは何を意味しているんだろう?

38: 02/12/31 23:38
「全ドイツの期待するものはプロイセンの自由ではなく力である。プロイセンは過去に
 幾度か好機を逸してきたが、今こそこの好機に集結せねばならぬ。時代の偉大な
 課題は演説と多数決によってではなく、鉄と血によってのみ解決されるのである」

とビスマルクが言うのですが、具体的にどんな好機を逃してきたのですか。
ドイツの外の国に戦争をしかけることと、ドイツ諸邦が統一することがなぜに
結びつくのですか。教えてください。

40: 02/12/31 23:52
>>38
私が誘導した本人です。ようこそ。
私が延々と書くよりもできれば問答方式で行きたいと思うので、
質問したり詩ますんで、レスよろしくです。そこで

>>なんというか、ドイツ内外交のイメージがつかめないんです。統一したけれゃ
>>好きにすればいいし、したくないならどうして対外戦争で統一を受諾するのか。

プロイセンは統一したかった。
プロイセン(とビスマルク)は統一こそが自分たちプロイセンの国益にかなうと
判断したわけです。そこで2つ問題が出る。

1. なぜ統一がプロイセンの国益にかなったか。
2. どのような形の「統一国家」が最もプロイセンの国益にかなうのか。

ですね。そこで質問なのですが、当時(1814年以降19世紀中盤頃)のドイツと
それを取り巻く環境については高校で習うぐらいは御存じでしょうか?
すいませんがレスよろしくです。

41: 03/01/01 21:07
>>40 感謝です。即レスくださったのにすみません。高校で習う程度なら大丈夫です。
でもそれは、欧州地図と三月革命以上のものではないです。

三月革命は、こんな感じですよね。
 フランスの革命を聞いてドイツで自由主義者が喜び、王は呆然自失。
 各地で選ばれた議員がフランクフルトに集まって憲法を審議。
 議論の途中で王が正気を取り戻し、弾圧の意思を固める。
 プロイセン王は議会に推戴された王位を蹴り、革命おわる。

43: 03/01/01 23:24
>>41
レスありがとう。基本的な流れは御存じと考えて説明します。

1. なぜ統一がプロイセンの国益にかなったか。
いろいろな要因がありますが、ここでは Political Economy から説明します。
つまり、「市場の形成と拡大発展」のためにはどうしてもプロイセンを中心とした
統一が必要であったと言う事です。産業革命後のヨーロッパの覇者はイギリスです。
その力は「国富」と言う形で蓄積されていました。なによりも先に経済力と言うわけです。
一方ドイツはと言うと国家がバラバラの「領邦」に分裂して、領邦間の交易にさえ
関税がかかるありさまです。プロイセンは「上からの改革」つまり民間の資本ではなく
国家が手を下して急激に産業革命を遂行しますが、もの作っても肝心の「市場」が
ないんです。国内市場もままならないで苦しんでいる一方で、英仏はその「国富」を
フル活用して、植民地を拡大している。乗り遅れればこの両国にドイツの市場すら
席巻されるかもですね。ある領邦にとってはイギリスもプロイセンも「外国」であり、
製品輸入に同等の関税がかかるとなれば、良質かつやすいイギリス製品が勝利
するのは火を見るよりも明らかでしょう。それはプロイセン自身に起こるかもしれない。
これをなんとかするためにプロイセンが主体になって、「ドイツ関同盟」という
関税相互免除の領邦連合を作りますが、それでも全ての領邦が参加したわけ
ではありませんでした。フランクフルト国民会議はこの「市場統一」を政治的統一と
一緒に話し合いでやっつけようとしましたが、ぶっつぶれましたね。そこには
「オーストリア」と言う壁があったわけです。
これがビスマルクの言う『プロイセンは過去に幾度か好機を逸してきたが』の一つ
であるわけです。(長くなるので分割します)

44: 03/01/01 23:25
>>41 つづき

2. どのような形の「統一国家」が最もプロイセンの国益にかなうのか。
オーストリアとの話し合いによる統一はフランクフルト国民会議で挫折します。
オーストリアは神聖ローマ帝国とともに長い間ドイツの実質的な盟主として
数世紀にわたって君臨してきたのですから、プロイセンなどのは「成り上がり」です。
プロイセン国王を戴く形での統一に賛成のはずはない。話し合いはダメです。
プロイセンとしては、プロイセン中心の国家統一以外は選択肢にない。
これが予算はなんで必要なんだとごねる議会に対してのかの演説となるのです。
直接やるか?相手は衰えたりと言えども強国です。がっぷりでやればせっかくの
市場となるドイツ国内が戦場となって荒廃する。できれば短期で決着を付けたい。
ここまではハラは決まっていた。あとはどのような「Opportunity」が巡ってくるかに
かかっている。そのときに備えて準備だけはしておくのだ、それがこの鉄血演説で
あるわけです。この演説ゆえにビスマルクが「軍国主義者」であると考えるのはほぼ
あたっていません。彼は戦争を最大限かつ最短期間利用したと考えるべきです。

とここまで鉄血演説までの背景をざっと述べました。これで疑問が氷解ならいいですし、
何か質問があればして下さい。私のみならず他の方の解答もあるでしょうと思います。

39: 02/12/31 23:42
私は外交史はよくわかりません。憲法学の本で、予算紛議の説明でこの言葉を
拾ってきました。ドイツ内外交がなぜドイツ内戦争でなく対外戦争で変わるのか、そのへんを
そのへんが疑問なのです。

42: 03/01/01 22:39
プロイセンのコテコテの保守主義者はドイツ統一に懐疑的だった
ナショナリズムがウィルヘルム1世やビスマルクを飲み込んだ

45: 03/01/01 23:44
プロイセンは伝統的に軍事中心国家である。
ビスマルクの宰相任期前半は、いわばその伝統を踏襲したにすぎない。
彼の偉大なところは後半20年のリアリスティックな外交である。
ビスマルクがいなかったら普通あの状態でオーストリアと仲良くやっていけないよ・・・

46: 03/01/04 01:30
プロイセンにとっての利害はわかりました。
でも、他邦はどうなんでしょう。風になびく草でいいんですか。

プロイセンが統一をすすめる
 ↓
反対する邦を武力で脅す
 ↓
反対邦をオーストリア(フランス)が後押しする
 ↓
戦争

という流れならわかるのです。でも、実際におこったのは、頭上で関係
なく起こった戦争の勝者にくっついての統一ですよね。そういう
行動自体も、そういう行動を予測できていたことも、釈然としません。
もともとプロイセンに従いたかったのをオーストリアやフランスに止め
られていたのですか。

48: 03/01/04 08:44
>>46
簡潔に書くのがなかなか難しいですが、二つのタイプに別れます。
1.「長いものに巻かれろ型」の領邦
歴史地図をお持ちとの事ですので、フランクフルト国民会議当時のドイツの地図が
あれば見て下さい。プロイセンは既にかなりの大国でしょう。地理政治学から言っても
北部の領邦は(経過は省きます)親プロイセンです。実は1833年の関税同盟は
それ自体が既に半分「プロイセンによる北部ドイツ統一」の意味合いを持つのです。
経済圏が統合されているわけですね。
2.「プロイセンは嫌いだが、オーストリアもイヤだ型」領邦
南部ドイツの領邦にこれがあてはまります。その旗頭が「バイエルン王国」です。
彼等バイエルン人は今でもプロイセンが大っ嫌いです。バイエルンを中心とした領邦は、
歴史的に国境を接するオーストリアの強い干渉をもうけてきたために、オーストリアとも
なんとか一線を画そうとするんです。バイエルンは大国です。これにへそを曲げられる
わけにはいかないのです。

49: 03/01/04 08:45
>>46
ドイツの統一にビスマルクが使ったのが、デンマーク、オーストリア、そしてフランス
と言う諸外国(外敵と言うべきでしょう)との戦争であったのは、こうした領邦を丸め込む
ためであると言えます。内戦状態になれば武力で統一しても、国内にわだかまりが
残ります。(明治維新後の藩閥政治はその例ですね)
これら外国と戦う形で統一を成し遂げれば、国内の不協和音に勢力をそがれず、
統一の翌日から「富国」に励めるのです。「強兵」は一時棚上げしてなんとしても
イギリスに追い付かなければならない。

ドイツ統一は1870年です。忘れがちですが明治維新の方が早いんです(1868)。
明治5年には「文明開化」なんてものが既にはじまっている。ドイツの焦りがわか
るでしょう。統一後のビスマルクの平和思考もです。

50: 03/01/04 08:53
軍国主義とか、ユンカーとか、伝統的なプロイセン史の用語を使わずに
説明できたなあ。少し満足です。