1: 02/09/16 13:15
経歴の長さと武将不足から、それなりの位はもらったけど趙雲って、実力としては中堅クラス。
武侠として、魏における許チョと同じく奥向きの警護や親衛隊長を任され、少数の兵を率いて
個人的な武勇を発揮するのは得意だけど、兵を率いる部将としては魏延や馬ショクより評価が下
だったのは生前・死後の扱いを見ても明らか。
逸話が多いのも、親衛隊長として劉備やその家族の身の回りにいたからに過ぎない。
陳到のような事跡が残っておらず、演義にすら採用してもらえない人物と同評価だったことからも
趙雲の実力はハッキリしている。
・・・と、こう書くと趙雲ファンの人はイキリ立つが、ちょっと待って欲しい。
人の評価というのは戦場の駆け引きだけにあるのではない。
奥向きのことを任されたことからも判るように劉備からの信頼は厚かったし、信義を重んじ
実直・清廉な人柄だったのは間違いない。
もし本当に趙雲のことが好きなら、妄想や過大評価で彼の真の姿を歪めることなく正しく
ありのままに評価すべきではないだろうか。
・・・と冷静かつ客観的視点のもとに魏延を語れ

引用元: ・魏延って実のところどうなの?

3: 02/09/16 13:18
魏延、叩き上げの兵隊野郎ですな。
性格の悪い楽進か凌統みたいな人物ではないだろうか?

4: 02/09/16 13:25
>>3
「叩き上げ」に賛成
叩き上げの積極的実践派だったので慎重な理論派の孔明とはソリが
合わなかったのでしょう
机上の戦略家や文官を鼻でバカにする態度が、孔明や文官たちの
癇に障って憎まれたんでしょうな

9: 02/09/16 13:30
>>4
孔明と反りが合わなかったというのは正史にあるの?
別に孔明に疎んじられていたようには思えないが。
戦術の方針が異なるというのは疎んじられていたとは言わないよね?
立場が違えば方針が違うこともあり得るでしょう。
それから、戦略は机上で構わないと思う。戦術は戦場だが。

13: 02/09/16 13:36
>>3
叩き上げの兵隊野郎・・・・
魏延って、特攻野郎Aチームのボス・ハンニバルみたいな人?w

6: 02/09/16 13:26
わしを斬るものはおるか!!
わしを斬るものはおるか!!
わしを斬るものはおるか!!
わしが貴様を斬る!!
コロリ
オラオラ庸奴が!もう一編悪い事をやってみろ!

8: 02/09/16 13:29
>>6

魏延
魏延
魏延
馬岱
楊儀

10: 02/09/16 13:33
諸葛亮の魏延排斥の為の策は正史にもあるよ

12: 02/09/16 13:34
>>10
正史の何処に、どんな策が?

15: 02/09/16 14:04
魏延≒児玉源太郎
趙雲≒乃木希典
孔明≒山県有朋

16: 02/09/16 14:06
魏延=一木清直

22: 02/09/16 14:55
魏延が漢中太守に任じられた際、劉備に対して…

「曹操の手下、十万騎であれば、てもなく退けてみせる。
 曹操直々の征伐であるなら、王の御出ましを願う。」

…のようなことを述べたとか聞いたが、真相はどうなので?

23: 02/09/16 14:57
>>22
かっこいい!

25: 02/09/16 15:00
>>22
このエピソードを演義で採用しなかったのは羅貫中の
悪意だと思う

28: 02/09/16 15:06
>>22
魏延の台詞と言うのは、
曹操の配下が10万の軍勢で来るなら、大王の為にこれを飲みこみましょう。
曹操自らが100万の軍勢で来るなら、大王の為にこれを防ぎましょう。

こんなんじゃなかったか?
劉備に助力を求めるような発言はしていなかったはずだが・・・
というかこれは男気があってカコイイ。

29: 02/09/16 15:12
>>28
本当この就任演説(?)はかっこいい。
張飛だったらどんな演説になっていたことやら?
それと魏延が漢中太守になったときに採用した漢中防御策を
蜀は伝統的に守り、姜維がこれを止めてその後間もなく蜀は
魏に滅ぼされた話は有名?

36: 02/09/16 15:24
>>29
姜維が漢中防御策を止めた事と蜀の滅亡は関係ない。
別に要因あり

37: 02/09/16 15:25
>>29
漢城、楽城(だっけ?)による防御策?
孔明が整備したんじゃないの?
最終的には、兵士が少なすぎてそれを生かせなくなったからで、
姜維が駄目というわけではない。
無駄に兵を損耗したのは姜維の原因だけど。

39: 02/09/16 15:27
>>37
ん?
姜維は確か城を守るより、蜀の領土に魏軍を引き込んだ方が
打撃を与えられることを理由に防備体制を変えたような記憶が。

42: 02/09/16 15:30
>>39
漢中を保持しきれなくなって、秦嶺山脈以南に防衛線を下げた際の話?

24: 02/09/16 14:58
マスメディアがない時代なんだから、とりあえず史書を信頼しとけば?
自分の実力を誇示しつつ、劉備を立てることも忘れない機知だと思うが。

33: 02/09/16 15:20
夷陵で将軍が全滅した蜀に残った唯一の上級将校かもしれん。
関羽・張飛・馬良・馬超・黄権他壊滅したからな

38: 02/09/16 15:25
>>33
趙雲は?

40: 02/09/16 15:29
>>38
彼は戦力になるタイプの将軍ではない。

41: 02/09/16 15:30
まぁ良くも悪くもシンプルな人間だったんだろ。
劉備に対する忠義も本物だったろうが、
後年はそれと同じレベルで我の強さや私怨が表に出たと。
武名にそぐわない対人関係の気遣いの不足が祟ったと言う意味では、
関羽、張飛に近い器だったのかもしれんね。

さっぱりまとまった趙雲と比べるのは、ちょっと筋違いかと。

43: 02/09/16 15:33
>>41
関羽と近いイメージは強いな。
士卒を可愛がった点、傲慢だった点はクリソツ。
演義の外見描写に至ってはマンマ関羽だし(W

44: 02/09/16 15:34
劉備が漢中に魏延を駐留させるなどして用意した防衛策を大勝が
得られないという理由で廃止したとか姜維伝に書いてある>漢中の防衛線

48: 02/09/16 15:39
>>44
あんたDQNのくせに、たまにはマシなこと言うねぇ!

45: 02/09/16 15:36
つまり魏延も立派な任侠武将だった訳だな。
任侠故に名を上げ、任侠故に身を滅ぼすと。粋だぜ魏延。

46: 02/09/16 15:37
たたき上げの軍事専門家で
常在戦場状態であった蜀では発言力も強かったが、
後期に官僚制がそこそこに強くなってくると
文官に煙たがられて粛清されただけと思われ。

49: 02/09/16 15:40
諸葛亮死後しばらく蜀が北伐出来なかったのも
財政の立て直し等の事情もあるが、一つの要因として
魏延のような大軍を率いることのできる名指揮官が
いなくなったこともあると思う。

50: 02/09/16 15:42
魏延が兵を損ねたという記述が見当たらないことからも
なかなかの名将だったと思われる。
魏書で名前が出てこないのが物足りないが。