1: 2019/11/29(金) 14:33:22.26
なぜ、3世紀の纏向では、鉄が使われなかったのだろうか、、、

引用元: ・3世紀の纏向で鉄が使われなかった理由

3: 2019/11/29(金) 15:47:48.19
3世紀の纏向は、石器の時代だったのではないのかな。

4: 2019/12/01(日) 04:01:06.05
目と鼻の先の淡路で2世紀頃のどでかい鉄器製造施設の遺構が見つかってるのにか

6: 2019/12/01(日) 10:41:41.15
巻向大溝の矢板は、100年前に石器で切り出され、石器で加工された床板を転用したのだったね。

7: 2019/12/04(水) 10:25:17.55
神道で鉄なんて使われへんやろ
青銅ちゅーか真鍮やで
今でもそうや

8: 2019/12/04(水) 10:28:26.38
纒向の祭祀道具が青銅製なのは纒向の祭祀こそ神道の原初形態という証拠やろ
出土するの神鏡やし
北九州の祭祀道具が鉄というのは今の神道とは違う廃絶した宗教という証明

44: 2020/03/04(水) 05:32:55.73
>>8
古墳のルーツは吉備の楯築なんじゃないの

9: 2019/12/04(水) 22:20:13.85
九州の祭器は紀元前から青銅器だよ。
平原遺跡の超大型内行花文鏡「八咫の鏡」がその代表だね。
畿内は後世にそれを真似たというか、九州北部の文化が伝播した=九州北部からの入植者が持ち込んだ。

10: 2019/12/13(金) 09:04:07.84
アカデミックの学会では、邪馬台国畿内説の根拠とされる物事は、全て、具体的な証拠としては、完全に否定されたのだったな。
そして、国が公式に設置した協会が、「アカデミックの学会では、邪馬台国畿内説の根拠とされる物事は、全て、具体的な証拠としては、完全に否定された」という真実を、高校生をはじめとする全国民に向けて放送したのだったね。

11: 2019/12/14(土) 13:18:47.19
書紀にかかれてる6世紀初頭に筑紫に屯所を移したという記述に注目してる


そのころちょうど畿内でも古墳の築造をやめてしまった
つまりそのころに朝鮮半島南部にあった倭の本拠が筑紫に移ってきたことを示唆してるのであろう

13: 2019/12/17(火) 19:30:20.17
唐古鍵からは海人の装身具である銅釧が出ちゃってるんだよなぁ
つまり九州海人に征服された土地ってこと

14: 2019/12/17(火) 19:32:27.61
>>13
そりゃ神武天皇がやってきてるんだから、海人が進出してきてるに決まってるだろ。

18: 2019/12/17(火) 23:47:10.61
>>14
つまり畿内は九州北部の海人族により征服された土地。

19: 2019/12/18(水) 00:27:04.43
>>18
邇邇芸が住み着いたのは吾田の笠沙岬
つまり神武は隼人の系統のインドネシア系海人族
北九州の海人族だけが海人族ではない。

28: 2019/12/19(木) 09:36:25.48
>>19
インドネシアから渡来したなら、アウトリガーカヌーが伝わるはずだろパッパラパー

30: 2019/12/19(木) 17:58:44.17
>>28
当時アウトリガーカヌーがすでにあったかどうかは不明じゃない?

31: 2019/12/19(木) 19:51:50.10
>>30
アウトリガーカヌーがなかったら来れないだろパッパラパー

32: 2019/12/21(土) 04:53:58.25
>>31
双胴船が旧石器時代からある。

35: 2019/12/28(土) 16:30:36.09
>>32
丸木舟しかねーよバカ

36: 2019/12/28(土) 20:54:12.36
>>35
世界最古の丸木舟は韓国で出土した8000年前のもの

だから丸木舟はせいぜい1万年くらい前から

だから旧石器時代にはまだない

39: 2020/02/20(木) 00:14:41.00
>>36
1万2000年前の丸ノミが南九州の遺跡で出ている。
この丸ノミは丸木舟を作るための道具とみられているよ。

47: 2020/03/04(水) 05:46:14.73
>>36
38000年前に黒曜石めあてで日本に上陸した人は石器を持ってた
それで丸太舟を作ったのではという推測が出ている
なんせ古代に船として使える素材なんて樹ぐらいしかない

33: 2019/12/21(土) 10:31:24.61
>>31
それただの思い込みだろ

16: 2019/12/17(火) 19:52:54.04
九州邪馬台国七万戸の胃袋は

キナイコシがカエルを齧りながら育てた米俵で満たされていましたw

17: 2019/12/17(火) 20:41:37.49
鉄器が九州北部で作れるようになったのは1C頃だろ

3Cの畿内では鉄器はまだ馴染みが薄いものだったに違いない

44: 2020/03/04(水) 05:32:55.73
>>17
やっと製鉄できるようになったのは6世紀前半
それまでは交易で鉄を仕入れてた

20: 2019/12/18(水) 00:58:47.88
そもそも魏より前、後漢の頃光武帝に朝貢した倭奴国は倭国の極南にあると後漢書東夷伝にもある。

倭国の極南=九州南部であるわけだから、初期の九州の4区分で言えば熊襲国であり、その後の7区分で言えば日向国となる。
九州が9区分になった後で言えば薩摩国となる。

中国三国時代よりも前、後漢の頃の倭国の覇者は北九州ではなく南九州の隼人だったわけだが
魏志倭人伝にしても、北九州に邪馬台国があったとして、倭国100国程の国の内の3割しか支配下にないし南から攻められてる。
倭国100国の残り7割が敵対勢力側だが、地の利を生かして帯方郡に朝貢できたに過ぎない。

21: 2019/12/18(水) 12:08:02.70
そもそも淡路島の垣内遺跡が1世紀後半の日本最大の製鉄所跡なのに、鉄がないない言ってる方がヤバい。

22: 2019/12/18(水) 16:25:27.55
>>21
えっ?

23: 2019/12/18(水) 17:39:04.02
>>21
そんなものがこの世に存在するとは露知らずカエル食ってたんだから

27: 2019/12/19(木) 07:06:16.26
>>21
熊本にも大きいのがあるな。

45: 2020/03/04(水) 05:33:21.49
>>21
製鉄所ではない

26: 2019/12/18(水) 21:34:43.57
五斗長垣内遺跡
遺物の鉄器は、矢尻、鉄片、鏨(たがね)、切断された
鉄細片など75点が出土した。


方保田東原遺跡 
合計500点以上の鉄が見つかっていて、その多さは全国でも際立った数です。
種類は斧やナイフなどのほか、鎌や釣り針など非常に多彩です。
注目されるのは、製品ではない塊や棒や板状の破片です。
これらは鉄器の素材となった物と考えられます。
出土数は全体の約半分を占めているので、この遺跡ではかなりの規模で
鉄器づくり(鉄鍛冶)が行われていたようです。

西弥護免遺跡
弥生終末期(581点の鉄器、細い針状の鉄滓など)

29: 2019/12/19(木) 14:19:22.62
纏向は弥生文化に馴染めなかった東日本の縄文系先住民にとっての西の砦だったんじゃないかな

38: 2020/02/19(水) 23:30:34.45
木製品がいつからあるかなんて判断できるわけがないのに

40: 2020/02/20(木) 00:47:18.52
そもそも製鉄技術がないから

41: 2020/02/24(月) 10:53:10.19
巻向古墳群のホケノ山古墳から鉄類は出てんじゃね?
他の古墳からは登り窯の筒とかも出てるわな。

安本センセーも内行花文鏡が出てきてからダンマリだし

43: 2020/02/27(木) 01:19:00.58
>>41
ホケノ山は4世紀だから関係ないよ

46: 2020/03/04(水) 05:41:16.05
1.纒向で鉄が使われなかったのは、まだヤマト王権が鉄利権を得ていなかったから(当時は壱岐が交易で鉄を入手し九州で使用&ギョクやヒスイの地域に鉄を融通していた)
2.纒向で鉄が使われなかったのは、そこはヤマト王権の物ではなく吉備関係の墓であったから