1: 2020/12/26(土) 02:33:05.68 0
もう少し専門的に語られても良いと思う

引用元: ・◆◇◆十字軍・十字軍国家について語ろう!◆◇◆

2: 2020/12/26(土) 02:34:06.53 0
たとえばサラディン率いる27000の兵をわずか500足らずの騎士で破ったという
「イスラエルの天草四郎」ボードゥアン4世とか
そういうマイナーなところを入れながらカタラウヌム

3: 2020/12/26(土) 02:40:29.61 0
例えば第3回十字軍は非常に惜しかった
この十字軍はまさにオールスターズと呼ばれている

その宗主は神聖ローマ帝国で数々の武勲をあげたフリードリヒ1世赤髭王
さらに仏のフィリップ2世尊厳王、英のリチャード1世獅子心王
この三人を主軸とする遠征軍合計5万以上、
さらにイスラエル周辺で展開している十字軍国家数勢力
これを合わせてアッコを包囲した

アッコは強固でなかなか落ちなかった
途中でフリードリヒ1世が川で転落して死亡するが、これは67歳だかの高齢で
ガチガチのプレートメイルで移動していていつ死んでもおかしくなかった
フリードリヒがもし生きてイスラエルに突っ込んでいたら、エルサレム陥落も夢ではなかった

しかし結果的にフィリップとリチャードが到着し、アッコを再包囲し、陥落させる
その後、フィリップはイギリスに隙が出たことに付け入り勝手に兵を退く、
それからもリチャードの軍はアルスフの戦いでサラディンを破るも、その頃は
フィリップと弟ジョンが共謀して英国を乗っ取ろうとしていたので帰国

この十字軍はアッコ陥落ぐらいまでが限界だった
一番苦労したのは現地にいた十字軍諸国家

4: 2020/12/26(土) 03:41:43.04 0
農民十字軍

5: 2020/12/26(土) 05:52:40.58 0
ビザンツ帝国のアレクシオス1世が、アナトリアからトゥルクマーン勢力を
駆逐するためにローマ教皇ウルバヌス2世に支援を求めたのが十字軍のきっかけ
ビザンツの意図は異民族の侵攻に対抗するための援軍要請だった

49: 2021/09/07(火) 17:19:00.49 0
>>5
キリスト教会の東西分裂というのは
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教とか
旧教とカタリ派、旧教と新教ほど決定的で
深刻な話ではない感じだな
十字軍が東ローマ皇帝を塔から叩き落としたり
コンスタンティノープルを荒らしたのですら
宗派対立とは全く無関係の東ローマの権力争いが
発端だし

6: 2020/12/26(土) 09:14:05.37 0
北方十字軍 
アルビジョワ十字軍

7: 2021/01/01(金) 11:40:41.13 0
ボードゥアン4世が最強

8: 2021/01/03(日) 20:50:42.10 0
塩野七生の小説を読んでるんだけど、ヴェネツィアのエンリコ・ダンドロが第4回
十字軍の時、本来十字軍がカイロを攻める予定であった所をヴェネツィアにとって
エジプトは大事な交易相手であった為、十字軍の航行費用とかを負担する代わりに
行き先をコンスタンチノープルにしたって記述があるんだけど、他の歴史学者の本
だとコンスタンチノープルではなくて、アドリア海沿岸のザーラ(ザダル)って書か
れているんだよね。コンスタンチノープルは、ビザンツの皇位継承の争いに乗じて
一時的に占拠したと。塩野氏の他の書籍だと同様の記述があるんだよね。
まあ、省略しただけなのかもしれないけどもね。

9: 2021/01/03(日) 22:17:40.67 0
エンリコ・ダンドロは、ザラの奪還に協力すれば支払いの延期を認めるという
提案を十字軍諸侯にしたんだよな
コンスタンティノープルに十字軍を導き入れたのはビザンツの内紛であって、
ヴェネツィアの商業利権ではない

10: 2021/01/06(水) 11:08:22.42 0
ギリシャは目潰し天国で親族同士の争いしかないからな
収まったのはラストから3番目のマヌエル2世の時代

11: 2021/01/09(土) 22:52:01.72 0
セルジューク朝はマリク=シャーの死後、後継者争いで分裂して地方の独立政権が
勢力争いを始めたよな
シリアと上メソポタミア地方は事実上、独立した小国家に分かれ、アミールや
アター・ベクに統治されていた

12: 2021/01/11(月) 16:59:21.48 0
ルーム・セルジュークになっても
クルチ・アルスラーンが強固な首都コンヤを固めて
十字軍国家の連合軍を破ってるから凄い

13: 2021/01/11(月) 18:26:43.10 0
セルジューク朝のトグリル=ベクは、カリフからスルタンの称号を授けられ、
イスラーム世界の統一とスンニ派支配体制の復活という任務を託されたので、
当初はファーティマ朝打倒を考えていた
ところが、ファーティマ朝が支配していたシリア・メソポタミアへの進出を
企てたスルタンに、軍が従わなかったため、トグリル=ベクの後継者である
アルプ・アルスランはアナトリアへ向かった

14: 2021/01/11(月) 21:14:59.13 0
そして1077年に起こったのがビザンツ帝国とのマラズギルトの戦いである
これで大敗したビザンツは殆ど形式だけの領地で
第一回十字軍をほぼ素通りされ、
第四回では通過のついでに国家を占領されてしまう

15: 2021/01/11(月) 22:57:00.84 0
十字軍は1098年にアンティオキアを奪取した後も、約束を破って
この「神の街」をビザンツ皇帝に返還することを拒み、
ボヘモンドがアンティオキア公となった

16: 2021/01/12(火) 08:06:16.00 0
第一回十字軍のころ、シリアのファーティマ朝領域は
パレスティナの沿岸部に限られていた
シリアは沿岸部を除いてセルジューク朝系の諸侯の支配下にあったが、
彼らはお互いに対立し、政情は安定していなかった
イスラーム世界がこのように分裂していなければ、十字軍は
もっと困難なものになっていたかもしれない

17: 2021/01/14(木) 03:29:20.51 0
まあ、ファーティマ朝はまだ夢あるエジプトの柔らかい国家だったから
この後サラディンが来て悪夢を見る訳ですけどね

サラディンに勝ったのはボードゥアン4世とリチャード1世ぐらい

18: 2021/01/14(木) 09:32:42.21 0
イスラーム・シリア統一への動きは、モスルとアレッポで権力の座に就いた
トルコ人武将ザンギーに始まり、その息子ヌール・ウッディーンのもとで頂点に達した
ヌール・ウッディーンは組織的な軍事力を背景に、ジハードを旗印とした
政策を推し進め、1146年のエデッサ征服を皮切りに、シリアの非フランク国
すべてを手中に収めた

19: 2021/01/14(木) 11:38:38.17 0
てかモスルなんてどっかのイラクのせいで今はヒャッハー状態な訳だし
当時の平穏だった頃が全く想像できんな

ザンギーってのは十字軍国家でいうとこのギー・リュジニャンみたいなもんかな

20: 2021/01/14(木) 18:15:52.96 0
マヌエル1世コムネノスって、皇帝としての業績はともかく、一個人としての
エピソードには面白いものが多いと思う

・アンティオキアのヘラクレスと綽名されたレーモンドさえもこのビザンツ皇帝の
槍と円楯を自由に扱えなかった
・マヌエルはある著名な馬上試合で荒馬に跨って登場し、最初の手合わせに際して
最も頑強なイタリアの騎士を二人まで打ち倒した
・突撃に際しては常に先頭を切り、退却のときには最後まで残る彼の勇猛ぶりに、
味方は彼の安否を、敵は自らのそれを一様に気遣って戦慄した
・ある時彼は一日で、彼自らの手で蛮族兵を40人以上殺害した
・彼は自分の輪に縛った4人のトルコ兵俘虜を引きずって軍営地へ帰ったこともあった
・彼は常に最も積極的に一騎討ちを挑発もしくは応諾し、彼の腕前に挑戦した
巨漢ぞろいの戦士たちは不敗のマヌエルの槍で貫き通されるか剣で切り刻まれた

21: 2021/01/14(木) 20:29:27.70 0
現実には現地のイスラム教徒ともよろしくやってたらしい

22: 2021/01/14(木) 22:20:33.81 0
マヌエル1世がローマ帝国の復活などという夢を追わず、
東方のセルジューク朝対策に国力を振り向けていれば、
歴史は変わっていたかもしれない

23: 2021/01/15(金) 16:44:31.85 0
>>22
援軍も入れて大軍で思いっきりルーム・セルジューク朝を滅ぼそうとしてますがそれは
で、ミュリオケファロンの戦いで大敗していますがそれは

24: 2021/01/15(金) 17:02:47.86 0
あっちが上手くいかないからと反対へ向かうのは下策なのかね

25: 2021/01/15(金) 18:28:49.81 0
ルーム・セルジューク朝のスルタンは、マヌエル1世が大規模な遠征を準備中、
という情報をつかんで急ぎ宰相のガブラスをコンスタンティノープルに派遣して
和解を申し入れたが、にべもなく皇帝にはねつけられた
このときに和解を選ぶ道もあった?

26: 2021/01/15(金) 22:11:31.70 0
マヌエル1世は諸勢力の連携とアナトリア高原の強固な守りを侮っていた

27: 2021/01/16(土) 18:30:35.66 0
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世やシャルル・ダンジューも、
普遍的キリスト教的地中海帝国の夢を抱いていたから、
マヌエル1世のローマ帝国再興というのは中世人の思考としては
異常ではなかったのかもしれない

28: 2021/01/18(月) 07:28:43.20 0
ルイ9世は病身を押して無理に遠征に出かけ、途中でペストで亡くなったのは情けないとしか・・・

29: 2021/01/21(木) 16:53:59.82 0
英雄ボードゥアン4世とは大違いだな

30: 2021/01/22(金) 17:11:24.61 0
渡河中に落馬して亡くなったフリードリッヒ・バルバロッサも

31: 2021/01/22(金) 22:23:32.63 0
フリードリヒ1世は普通に高齢が原因だと思う
強行軍でかつ重装備、しかも68歳となるとな
せめてあと10歳若ければあの場面で生き延びて
フィリップとリチャードをまとめて5万ぐらいの軍勢で
サラディン破ってエルサレム占拠ぐらいまではいってたかもな

42: 2021/02/06(土) 09:32:43.36 0
>>31
悪行はキリスト教側のほうが先
共存を求めたイスラムに対しキリスト教側が拒否し、迫害

44: 2021/02/07(日) 00:34:01.86 0
>>42
ボスニア・ヘルツェゴビナなんてイスラム教徒の防波堤になってるだろ
あの伸びてる部分がモハーチの戦いで奪った領土の丁度オスマン全盛期ぐらいだからな
オスマンがもっと強くなってたらヨーロッパ荒れてたわ
アルバニアとかってイスラム脱却しようとはする気ないのかね
「スカンデル・ベク」とかあるし、ほとんどトルコの属国とか?

48: 2021/09/07(火) 16:56:51.29 0
>>44
アルバニアは共産圏だった時は無神論だったろ
スターリニストなりに脱イスラムは目指してたと

45: 2021/04/18(日) 06:14:50.27 0
>>42
私もそんなふうに思っていた時代がありました。
イスラム海賊の凶悪さを知る前までは。

32: 2021/01/26(火) 22:32:37.84 0
フランク人はギリシア正教徒よりも、シリア正教会(単性説をとる)に好意的だった
ギリシア正教徒はアラビア語は話すが、最終的にはコンスタンティノープルの
いいなりで、ビザンツ帝国の手先とみなされていたからである
時代が下るにつれて、東方キリスト教徒はアラブの指導者たちと結ぶようになった
彼らにとって、ムスリムが口出ししなかった宗教上の自由をフランク人が
認めなかっただけ、フランク人に対する恨みは強かった
東方キリスト教諸派のうち、マロン派だけはフランク人と良い関係にあった

33: 2021/01/26(火) 22:41:22.46 0
なんか、フランク人に正義があるような言い方だな

34: 2021/01/31(日) 21:11:15.94 0
バランスシートからすれば十字軍は
イスラム勢の何世紀にもわたる悪行に対する
ささやかな報復と言える

36: 2021/02/05(金) 14:38:13.45 0
>>34
てか今の世界で治安悪化させてる原因の半分がイスラムだからな

35: 2021/02/03(水) 22:30:51.90 0
トリポリを臨む山岳地方を拠点としていたマロン派は、十字軍がエルサレムを攻めた
1099年に案内役をつとめた
フランク人と接触したマロン派教会は、1182年、アンティオキア総大司教エムリーの
もとにローマ教会と合体した

37: 2021/02/05(金) 14:53:41.89 0
オリエントをうまく統治するには、異教や異端に対して寛容である必要があったと
思うんだが、フランク人の排他性のためにそれは実現できなかった

38: 2021/02/06(土) 06:51:35.45 0
フランク人はキリスト教を受け入れるぐらい宗教にはフランク

39: 2021/02/06(土) 08:39:32.95 0
んなこたない

40: 2021/02/06(土) 09:06:01.48 0
キリスト教を受け入れてから、異端や異教に不寛容になったんじゃないの?

43: 2021/02/06(土) 23:03:09.38 0
イスラム主導による共存なんていらんわな
だいたい創始者が武将で対立部族ぶち殺す
つまり大量虐殺やってたな宗教だからなイスラムは

46: 2021/04/19(月) 13:39:05.91 0
イスラームには極めて限定的で差別的な共存はあるかもしれんが共栄はない
征服か服従のみ

47: 2021/09/07(火) 15:48:59.48 0
定金のジハードは面白かった