1: 2021/01/24(日) 23:36:24.29 0
五胡十六国から南北朝にいたるまでの、中国が混乱を極めた時代の歴史について
語りましょう。

引用元: ・五胡十六国から南北朝

2: 2021/01/25(月) 00:43:54.60 0
最後は高句麗に負けて終わる時代だから

3: 2021/01/25(月) 10:42:03.27 0
五胡十六国の君主で一番の暴君は石虎かな?

荒酒淫色とめどがなく、夜になると王家の一族や臣下の家に忍び込み、
妻妾を犯すのは序の口で、宮廷の美女の首を斬り、血を洗って盤上に置いて
皆と一緒に眺めたり、美しい比丘尼と交わって殺し、牛羊の肉と一緒に煮て食べ、
周囲の者にも味見をさせたという

4: 2021/01/26(火) 20:06:17.38 0
人間のマイナス面ばかり見ていては気が滅入る。
賢君良王の話はないのか。

5: 2021/01/26(火) 20:31:40.91 0
>>4
前秦の苻堅だな

6: 2021/01/26(火) 21:54:00.67 0
苻堅がなぜ映画やドラマにならないのか不思議でならない。

7: 2021/01/26(火) 22:15:08.04 0
五胡十六国自体がマイナーな時代だから、苻堅も映画やドラマにならないのかな

8: 2021/01/26(火) 22:26:33.02 0
北魏は、日本はともかく中国では人気のある時代だけどな

9: 2021/01/26(火) 22:49:13.45 0
もともと、中国に五胡を呼び入れたのは八王の乱の諸王なんだよな
剽悍な北方遊牧民の武装集団を競って導入し、自己の戦闘能力を高めようとした
八王の乱で中原は荒廃し、農民たちは流民となり、多くは開発途上の南方に移動した
こうして一時、華北に真空地帯が出現すると、これを埋めるように、
北辺の遊牧民族が南下を始めた

10: 2021/01/27(水) 08:09:54.89 0
苻堅はショタホモで最期がああやからドラマとかにならんやろ

11: 2021/01/27(水) 11:06:05.02 0
苻堅は東晋との戦いのとき、雲母車(雲母のような上等の紗で四方を覆い、中から
外が見える女性用の車)に乗っていたという
苻堅は秦国が成立してから王となった人で、実戦の経験があまり無かったのだ
苻堅自身も流れ矢にあたって傷を負い、命からがら単騎となって慕容垂のもとに
逃れた

14: 2021/01/27(水) 14:47:02.43 0
八王の乱は、後漢に降った南匈奴など、様々な事情で中国本土に移住していた
北方民族の生活をも直撃した
彼らは安価な労働力として搾取され、生活はもともと漢族の農民以上に
苦しかったから、被害は一層深刻だった
しかも、王侯の軍隊に編入されて活躍したにも関わらず、彼らは傭兵にすぎず、
身分や待遇は劣悪だった
彼らは生活苦も手伝って、やがて抵抗と自立の動きを始め、晋の崩壊を
決定づけることになる

15: 2021/01/27(水) 15:33:25.10 0
後漢というともう五代の方しかイメージがわかない
東漢

18: 2021/01/29(金) 10:41:31.74 0
>>15
そうだな

日本では、なんで前漢・後漢というんだろう?
西漢・東漢のほうが分かりやすくて良い

16: 2021/01/27(水) 18:29:23.16 0
苻堅は慕容儁の娘の清河公主と慕容沖が美貌だったので寵愛していた

17: 2021/01/29(金) 09:14:23.50 0
五胡は西ローマ帝国に侵入したゲルマン人によくたとえられるが、
むしろバルカン半島に侵入してきたスラヴ人に近いのではないかと思う
スラヴ人はセルビア王国やブルガリア帝国をはじめとして、ビザンツ帝国の
縮小コピーのような国家しかつくれなかったし
西欧や日本のようにフューダリズムが成立することはなかった

19: 2021/01/29(金) 10:42:46.60 0
>>17
北魏や隋唐のどこが縮小コピーやねん

20: 2021/01/29(金) 14:21:57.23 0
北魏が長続きしたのは、部民が多かったのと、狩猟・遊牧の生活を捨てて
農業国家に脱皮できたからかもしれない
そのために、代々守ってきた部族制を自ら放棄し、族長たちを貴族とする一方、
部民を漢族と同じ州県民の戸籍に編入するという大胆な政策を断行した

21: 2021/01/29(金) 15:45:56.52 0
分裂したやん

22: 2021/01/30(土) 18:35:10.51 0
前趙の第五代皇帝、劉曜は父や母の葬儀を粟邑の方法で行ったが、それは盛り土をし、
その下、周囲二里にわたって、墓の造作に従事した人間を配置し、灯明の代わりに
火をつけて焼き殺すというものだった

古墳時代の日本には陵の周りに近習たちを生きながら埋めるという習慣があったが、
ひょっとしてこれは大陸の影響を受けているのか?

23: 2021/01/30(土) 18:38:46.80 0
>>22
日本に本格的殉葬の風習はなかった。
古墳の周囲から大規模な人骨は見つかってない。

24: 2021/01/31(日) 01:00:33.27 0
>>23
その点で『火の鳥』のヤマト編は納得いかなかった。

25: 2021/01/31(日) 07:55:43.95 0
>>24
『日本書紀』垂仁記の記述が元ネタじゃね?

26: 2021/01/31(日) 10:41:42.77 0
孝文帝の漢化政策には、やっぱり馮太后の影響もあるのかな

27: 2021/01/31(日) 11:08:12.71 0
北魏のフウ太后はドラマで大人気の人物で、最近も「王女未央」が大ヒットした

でも、べつに「漢化政策を行った人物」として人気があるわけではない

家族全員を北魏の太武帝に殺された北燕の亡国の王女でありながら、敵地である北魏の宮廷に乗り込んで事実上の女帝にまでのしあがったという、数奇な人生に関心が集まっている

28: 2021/01/31(日) 12:12:58.48 0
南朝が再統一して欲しかったと思ったのおる?

29: 2021/02/01(月) 09:18:31.76 0
南朝が再統一していたら、六朝文化の影響がもっと強くなっていたのかな?

30: 2021/02/01(月) 11:19:24.35 0
東晋の桓温が洛陽を奪回したことはあったけどな

31: 2021/02/01(月) 12:52:06.51 0
劉裕は長安も洛陽をも奪回したわけやが

32: 2021/02/01(月) 13:24:03.68 0
>>31
長い間には、そういうこともある

33: 2021/02/01(月) 14:22:35.46 0
南朝は内紛が多いよな
宋の八代の皇帝のうち、暗殺されなかったのは武帝、孝武帝、明帝の三人だけ
皇子たちも十中八九まで犠牲となる異常事態の連続だった
さらに体制を支える重臣も多くは不慮の死をとげた

斉でも第五代の明帝は、直系の子孫を守るため、皇族27人を殺害する暴挙を
あえて犯し、これが原因で斉は滅亡

34: 2021/02/01(月) 15:24:11.79 0
>>33
南方は漢人の社会が維持されたとはいえ
胡族と触れ合ったためか価値観が峻烈になったね

前王朝皆殺しは後々にけしていい影響はなかったと思う

35: 2021/02/01(月) 18:35:22.08 0
北魏の道武帝は晩年、クーデターを恐れて多くの臣下をほとんど何の理由もなく
殺害するようになった
409年7月には、北魏にいた慕容氏の一族百余家が逃亡しようとしたとして殺戮された
(道武帝の皇后は慕容宝の末娘だった)

胡族はやっぱりやることが殺伐としているな

36: 2021/02/01(月) 19:05:49.17 0
歴史書に残る北方民族の記述は
互いに殺した殺されたばっかりやしな

37: 2021/02/01(月) 19:35:14.07 0
サバイバルゲームをリアルでやっていた

38: 2021/02/01(月) 22:50:27.72 0
東晋の孝武帝は、396年に、貴人(妃の名称の一つ)が30歳という年増になったのを
からかったため、それを恨んだ貴人に暗殺されるという情けない最期を遂げている

39: 2021/02/02(火) 02:47:38.38 0
南朝は豊かなのか北伐に熱心な皇帝が居なかった

41: 2021/02/02(火) 06:48:08.85 0
>>39
宋の劉裕がいる

44: 2021/02/02(火) 09:44:12.23 0
>>41
あの成り上がりは簒奪するための実績稼ぎで北伐遂行しただけ

40: 2021/02/02(火) 06:46:34.69 0
北魏の太武帝も、史上に稀な大征服者でありながら、最後は宦官に暗殺された

これは有名なエピソードで、中国の時代劇にはよく出てくる場面

42: 2021/02/02(火) 08:22:53.29 0
北朝の皇帝の子供つくる年齢と死ぬ年齢の若さが半端ないことに(;´Д`)ハァハァ

43: 2021/02/02(火) 09:25:41.19 0
建康は富と文化と芸術の都だったが、王朝の交替期には必ず戦乱の巷と化すという
宿命を背負っていた
侯景の乱のときは、人口の1%を残すのみという壊滅的打撃を受けて廃墟となり、
ついに完全な復興を見ないまま、陳の滅亡の日を迎えた

45: 2021/02/02(火) 18:36:40.15 0
>>43
あれこそは、真の「南京大虐殺」だった

46: 2021/02/02(火) 21:23:20.20 0
見てきたの?

47: 2021/02/02(火) 22:24:37.20 0
五胡十六国時代の君主の贅沢の話だが、後燕の慕容熙は苻娀娥と苻訓英を皇妃として
寵愛し、二人の機嫌をとるため、二万人もの人民を使役して広さ十余里という大庭園を築造した。庭園の中に景雲山という十七丈もの山を作り、曲光海、清涼池という湖も
作った。夏の盛りの過酷な作業だったため、多くの死者が出たという。

大陸の専制君主の贅沢はスケールが違うな

48: 2021/02/03(水) 02:57:56.47 0
まあ中華は話を盛るんだよ伝統

49: 2021/02/03(水) 18:15:28.20 0
動員した人夫2万で10余里(4キロ弱)の庭園を造営ってかなりリアルな数字だと思うが

50: 2021/02/03(水) 22:24:20.50 0
石虎も大宮殿を建てていたな
彼が秦の始皇帝の陵を掘り返し、銅柱を取り出して器物を作らせたのは有名